戦後の歓楽街化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:06 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月に太平洋戦争が終戦を迎えると、進駐軍のための慰安所に充てられたが、その後はそのまま赤線(特飲街)として営業を行った。衣浦荘組合によって海岸に桟橋が設置され、夏季にはボートが設置されるなどした。また、沖見平14番地にはマーケットが建設され、パチンコ店・マージャン店・射的店・軽飲食店など12店舗が並んだ。
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