戦後の業績
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「デビッド・スタインマン」の記事における「戦後の業績」の解説
1948年から、スタインマンと事務所はブルックリン橋の改修を担当した。そして彼の業績としてもっとも有名なマキナック橋の設計にかかった。1950年、ミシガン州議会により、マキナック橋建設のため検討委員会に招聘された。その検討委員会のエンジニアたちは、ミシガン大学工学部長、アイバン・クロウフォード(Ivan C.Crawford)によって選定されたものであった。しかし、スタインマンの健康は優れなくなっており、1952年には心臓発作を起こす。同年、議会は資金調達を承認。そのような中で、スタインマンはマキナック橋の建設に深く関わることになり、1957年、完成する。同年、スタインマンは シチリアのメッシーナ海峡を中央径間1524メートルの渡る壮大な橋を提案している(現在に至るまで橋は架けられていない)ほか、連続トラス構造のキングストン・ラインクリフ・ブリッジを完成させている。 1957年、フランクリン・インスティテュート((Franklin_Institute))からメダルを授与された。 1960年、死去。死去時には技術史学会の会長を務めていた。また、彼の事務所は1988年よりパーソン・トランスポーテーション・グループの一部となっている。
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