戦後の柔道界を牽引とは? わかりやすく解説

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戦後の柔道界を牽引

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 17:19 UTC 版)

松本安市」の記事における「戦後の柔道界を牽引」の解説

終戦後1946年7月に6段位允許福岡県柔道協会結成記念して1947年7月1日開催され西日本選手権大会では個人戦団体戦出場個人戦決勝リーグでは木村政彦6段(熊本)と吉松義彦6段(鹿児島)との三つ巴戦になり、木村には延長2回の末に判定敗れ吉松には延長戦縦四方固抑え込まれ一本負け喫して優勝逃すも(優勝一本背負投吉松を宙に舞わせた木村)、団体戦では福岡県優勝貢献した1948年3月15日に全関西・全九州対抗戦形式行われた第2回新生大会で団体戦強豪広瀬巌7段と引き分け個人戦では決勝戦にて木村政彦7段と激突後述通り両者激し熱戦展開した引き分け終わり前年雪辱はならなかった。1948年5月開催され第1回全日本選手権大会では準決勝戦吉松義彦6段を破り決勝戦では武専先輩にあたる伊藤徳治6段を延長3回の末に判定破り優勝飾って念願の“柔道日本一”に。大会直後6月には国家地方警察福岡県本部奉職し10月平和台特設道場行われた県下警察柔道大会では5人掛を実演代わる代わる警察官猛者5人を立て続け豪快な大外刈で畳に叩き付け観衆驚嘆せしめた11月13日国家地方警察本部主催した第1回全国警察大会では管区対抗戦福岡管区一員として出場し東京管区相手に7対0の大勝飾り個人戦決勝戦国家地方警察鹿児島県本部吉松義彦敗れるも、九州勢強さ見せ付けた。 翌49年3月宮崎市催され警察官第3回九州各県対抗戦でも優勝8月には第3回西日本各県対抗戦の6段の部で吉松義彦引き分けた福岡県鹿児島県決勝戦争い3対0でこれを破り優勝果たし嘗て西文雄や島井安之助、須藤金作らが築き上げた柔道王国福岡復活印象付けた。また同年11月第2回全国警察選手権大会でも松本個人優勝果たしている。 檜舞台である全日本選手権大会には1953年第6回大会まで続けて出場するも、1949年初戦伊藤徳治7段に、1950年3回戦石川隆彦7段に、1951年3回戦醍醐敏郎7段に、1952年3回戦山本博6段に、1953年4回戦吉松義彦7段にそれぞれ敗れ2度目栄冠はならずこのうち1952年棄権負)。それでも1950年4月鹿児島市開催の全九州対県試合福岡県率いて優勝導き11月第3回全国警察大会では府県対抗戦国家地方警察宮城県本部を6対1、国家地方警察大阪府本部を5対1で圧倒し決勝戦でも警視庁降して優勝同大会の管区対抗戦でも優勝成し遂げた管区対抗1951年11月第3回大会制し国家地方警察福岡県本部勇名をいよいよ全国轟かせている。 その後1956年4月29日第1回世界選手権大会代表決定戦38歳出場し決勝戦夏井昇吉時間一杯20分を戦った末に判定敗れて代表の座はならず。この試合以って松本選手引退した永い現役生活送ったが、選手として最も脂ののる20歳半ば時代戦争兵役迎えた事は、松本にとって不運であったと言える

※この「戦後の柔道界を牽引」の解説は、「松本安市」の解説の一部です。
「戦後の柔道界を牽引」を含む「松本安市」の記事については、「松本安市」の概要を参照ください。

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