戦後の松山空・宇和島空
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 09:21 UTC 版)
「松山海軍航空隊」の記事における「戦後の松山空・宇和島空」の解説
宇和島空の痕跡はほとんど残っていない。終戦後、旧施設は国有財産として海軍から大蔵省へ移管された後、元の敷島紡績へ売却されたり、農地改革のために農林省へ移管された後に農地へ転用されたり、宇和島市へ売却されたりした。宇和島市は昭和42年より 坂下津産業団地に転用して現在に至っている。 一方、松山空施設は終戦後、占領軍の宿営地として一時期使用されたが、海軍から大蔵省へ移管された後、大半が松山市に売却された。松山市は臨海工業用地として大阪曹達や帝人を誘致して、現在に至っている。南側の松山基地は、進駐軍の接収を経て、昭和27年より民間空港「松山空港」へと変貌した。現在でも四国最大の空港として機能し、国際線も設定されている。
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