戦後の樺太
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1945年(昭和20年)9月17日 - 南サハリン・クリル列島住民管理局が設置され、樺太庁はその監督下に置かれた。 1946年1月 - 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) より日本政府に対しSCAPIN-677が通達され、日本の政治的・行政的権限の行使の中止が指令される。 1946年2月2日 - 1945年9月20日まで遡り南サハリン州が設置され、北方四島や千島列島とともに南樺太も管轄した。 1947年1月2日 - ソ連は、樺太全島と北方四島および千島列島からなるサハリン州を設置。 1949年6月1日 - 国家行政組織法が施行される。これをもって日本の国内法的に樺太庁が廃止される。 「南サハリン州」および「サハリン州」を参照 1952年4月28日 - ソ連が調印・批准を拒否した日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効。詳細は「#領土問題」を参照 1965年9月15日 - ソ連船バイカル号で8世帯35人が横浜港へ帰国。1959年以来6年ぶりの引揚者。 1989年 - ソ連のミハイル・ゴルバチョフ政権による緊張緩和により外国人の立ち入りが許可される。 1991年12月25日 - ソ連崩壊に伴いロシアがサハリン州を継承。 2001年 - 日本がユジノサハリンスクに総領事館を開設。 2009年2月28日、麻生太郎首相が戦後の総理大臣として初めて樺太を訪問。ユジノサハリンスクでメドヴェージェフ大統領と日露首脳会談を行い、同大統領と共にLNG工場の稼動式典に出席した。
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