御殿場ルート
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静岡県御殿場市の御殿場口新五合目(旧二合目)を出発し、富士山南東側から山頂を目指すルート。登山口の標高は1,440m。御殿場ルートの新五合目の標高は頂上への4コース内で一番低い。登路よりも、長大な砂走りの下りコースに人気がある。頂上には銀明水(湧き水)がある。標高差・距離・歩行時間の長いルートで、健脚向けとされる。富士登山駅伝のコースである。 麓からの徒歩道としての登山道は長らく未整備であったが、1997年(平成9年)に「須山口登山歩道」、1999年(平成11年)に「須山口下山歩道」が旧来とは別ルートで新たに整備された。須山御胎内からは少し離れてしまっているが、水ヶ塚や弁当場を通るため宝永大噴火前のルートには近いとされる。「御殿場口登山道」も徒歩で登山可能である。 利点 登山者が非常に少なく、静かな登山を楽しめる。駐車場も山小屋も空いている。駐車場が無料で、マイカー規制も行われない。人工物が少なく、自然を満喫できる。登山道の傾斜が比較的緩やかである。登山道の上部からは、朝は御来光、夕方は影富士を見られる。下山路に大砂走りがある。宝永山や二子山に立ち寄れる。関東からのアクセスが良い。プリンスルートを使えば、富士宮ルートの標高の高さと、御殿場ルートの静けさを良いところどりできる。(詳しくは皇太子の富士登山の項目を参照) 難点 登山者が非常に少なく、心細い。体力が不可欠。行動時間が長い。山小屋が少ない。特に大石茶屋(標高1,520m)と7.4合目(標高3,100m)のわらじ館の間には山小屋やトイレ、救護所がない。夜間や濃霧時に道に迷いやすい。道迷いや疲労による遭難が多い。樹林帯がなく陽射しが強い。景色の変化が乏しい。登山靴を消耗しやすい。バスの本数が少ない。 主なアクセス JR御殿場線御殿場駅下車、登山バス(40分, 富士急行バス) 御殿場駅までのアクセス小田急新宿駅からJR御殿場駅までは、直通の特急ふじさんや、小田急ハイウェイバスの御殿場行きを使うと便利。 小田急新松田駅から徒歩3分のJR松田駅で御殿場線に乗り換える方法もある。 歴史 「須山口登山道」は、南口や東口、表口、銚子口(頂上の銚子窪に由来)とも呼ばれ、須山(標高600m)が管理していた。伝承では大同3年(808年)に空海が開いたといわれ、また麓の浅間神社(現在の南口下宮須山浅間神社)は神代(景行天皇40年)鎮座といわれている。頂上までの登山がいつごろから行われるようになったかは不明だが、少なくとも富士山本宮浅間大社に伝わる正治2年(1200年)の『末代証拠三ケ所立会証文』には「東口珠山」の記載が、文明18年(1486年)の道興の『廻国雑記』には「すはま口」の記載があり、大永4年(1524年)には須山浅間神社の存在が確認されていることから、平安時代から遅くとも鎌倉時代までには開かれていたと考えられている。江戸時代初期には駿河側では最も利用者が多かったが、須山は林業や農業も盛んで、他の登山口とは異なり須山浅間神社御師の登山産業収入は年収の半分程度であり、依存度は低かった。宝永4年(1707年)の宝永大噴火にて壊滅的な打撃を受け一度廃れるも、御師の幕府への陳情により安永9年(1780年)に別ルートで復活した。天明2年(1782年)には大宮より頂上の銚子窪に鳥居を立てる許可を得て、天保7年(1836年)には銚子窪の銀明水を売る権利を得た。須走と近いため、登山客を巡る争いがたびたびあった。後述する御殿場口登山道ができると須山口旧二合八勺(標高2,050m、六合目と五合五勺の間)までの旧来ルートは衰退し、さらに一部が1912年(明治45年)に旧日本陸軍(のちに在日米軍、陸上自衛隊)の東富士演習場となったため廃道となった。そのため、須山口登山道として世界文化遺産に登録されているのは旧二合八勺から頂上の間および、須山御胎内周辺(標高1,435〜1,690m)だけである。新五合目(旧二合目)から旧二合八勺は御殿場口のものであるため含まれない。 「御殿場口登山道」は、東海道線(現在の御殿場線)の建設が決まったことから、登山客の利便を図るため1883年(明治16年)に開通した。当初は西田中八幡宮を起点とし、末社として東表口下宮浅間神社が建てられたが、1889年(明治22年)に御殿場駅が開業するとそちらに近い新橋浅間神社を起点と変更された。須山口には旧二合八勺で合流する。
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