幻視
『抒情歌』(川端康成) 「私(龍枝)」は親の許しなしに、「あなた」と暮らしていた。初夏の夕方、「私」は窓から、雑木林を歩く母の幻を見た。母は左手で咽をおさえ、ふっと消えた。同じ時刻に、母は病院で死んだ。舌癌だったから、咽をおさえて「私」に見せたのだろう〔*後、「あなた」は綾子を愛して「私」と別れ、そして死んだ。母の時とは異なり、「私」は「あなた」の死を、ずっと知らずにいた〕。
『遠野物語拾遺』161 土淵村役場に勤める菊池某が、先年の夏、友だちと2人で北上川の川端に腰をかけて涼んでいた。ふと見ると川の流れの上に、故郷の家の台所のありさまが現れ、姉が子供を抱いている後ろ姿が、ありありと映った。まもなくそのまぼろしは薄れて消えたが、あまりの不思議さに、家に「変事はなかったか」と手紙を出すと、行き違いに「姉の子が死んだ」との電報が届いた。
『ユングの生涯』(河合隼雄)11「晩年」 1961年6月6日。船旅をしていたローレンス・ヴァン・デル・ポストは、半睡の状態で幻像(ヴィジョン)を見た。彼は谷間におり、周囲は雪を頂く山であった。マッターホルンのような山の頂にユングが現れ、「そのうちにお目にかかりましょう」と言って、山陰に消えて行った。その後ヴァン・デル・ポストは眠りにおち、翌朝ボーイが運んで来たニュースによって、前日のユングの死を知った。
*ユングの臨終時の落雷→〔落雷〕6の『ヘルメティック・サークル』(セラノ)「ユングの帰宅」。
『私は霊界を見て来た』(スウェーデンボルグ)第1章の1 17××年のある日。アムステルダムの市場で、仲買人ギガルトが忙しく働いていた時、突然、視界から市場の光景が消え、代わりに、海に沈む難破船が見えてきた。何万人もの乗客の中に、ギガルトの7歳の息子がおり、彼の方へ悲しそうな顔を向けて、助けを求めていた。ギガルトがこの幻影を見たちょうど同じ時間に、彼の息子は海で溺れ死んでいた。
赤池の鯉右衛門の伝説 赤池には、「鯉右衛門」という大鯉が棲んでいる。ある男が、池の主(ぬし)の「鯉右衛門」を捕らえようと、水をかい出す。すると自分の村の方に煙が上がり、たちまち大火事になった。男は急いで家へ戻るが、火事の気配もなく村は静かである。男は赤池へ引き返し、また水をかい出す。再び村の大火事が見えるが、男は「狐か狸のしわざだろう」と思い、水かえを続ける。夕刻になって村へ帰ると、焼け野原だった(京都府熊野郡久美浜町)。
『現代民話考』(松谷みよ子)4「夢の知らせほか」第1章の1 昭和30年(1955)頃の体験。夜、窓の外が真っ赤に燃える夢を見て目が覚め、「お母さん大変、火事よ」と母親を起こし、結局家中が起きて大騒ぎになった。しかし火事などなく、ただの夢ということで終わった。翌日の夜、自宅の1軒おいて隣が火事になり、前日の夢と同じ光景が窓の外に見えた(三重県桑名市)。
『仙境異聞』(平田篤胤)上-1 文化年間(1804~18)。下谷七軒町に住む寅吉少年が、ある日、家の棟に上がって「広小路が火事だ」と叫んだ。火事など見えないので、皆がいぶかると、寅吉は「あれほど燃えるのが見えないのか。早く逃げよ」と言う。人々は「寅吉は物狂いになった」と思ったが、翌日の夜、下谷広小路は火事で焼けた。
★4.自分の網膜にある血管が見え、赤い炎を幻視する発作が起こる。
『網膜脈視症』(木々高太郎) 松村真一少年が3歳の時、目の前で父親が殺された。その時偶然、真一少年に、網膜の血管脈視症状が起こった。幼い真一少年は、父親殺害を認識できなかったが、あろうことか、その殺人犯が、真一少年の新しい父となった。以来、真一少年は、しばしば炎を幻視する発作を起こすようになった。精神病学の教授・大心地(おおころち)先生が真一少年を診察して、炎幻視の原因をつきとめ、殺人犯は逮捕された。
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