幻のラストシーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 18:03 UTC 版)
映画の最後は、こはるに熱を上げるしつこい旦那を煙に巻こうとした佐平次が、千葉からやって来た旦那の杢兵衛を海蔵寺の墓場に連れて行き、出鱈目な墓を指してそれをこはるの墓であると騙すというものである。結核を暗示する咳をし、顔色の悪い佐平次に杢兵衛は「(墓石を偽ると)地獄に落ちねばなんねえぞ」と言い、佐平次の体調不良を天罰だと罵る。すると佐平次は「地獄も極楽もあるもんけえ。俺はまだまだ生きるんでえ。」と捨て台詞を吐き、海沿いの道をどこまでも走って逃げていくというものである。 このラストシーンは、脚本段階では、佐平次は海沿いの道ではなく、杢兵衛に背中を向けて走り始めると墓場のセットが組まれているスタジオを突き抜け、更にスタジオの扉を開けて現代(昭和32年)の街並みをどこまでも走り去っていく、というものであった。佐平次が走り去っていく街並みはいつかタイトルバックに登場した北品川の風景になり、その至るところに映画の登場人物たちが現代の格好をして佇み、ただ佐平次だけがちょんまげ姿で走り去っていくというものだったという(本編でも、佐平次のみ西洋式懐中時計を修繕する能力を有しており、これが時間の超越を暗示する伏線であった可能性がある)。 これは、川島がかねてから抱いていた逃避願望や、それとは相反する形での佐平次に託した力強さが、時代を突き抜けていくというダイナミックなシーンになるはずだったが、あまりに斬新すぎたために、現場のスタッフやキャストからは「意味が分からない」と反対の声が飛び出した。川島が自らの理想像とまで見なしていた佐平次役のフランキー堺まで反対に回り、結局現場の声に従わざるを得なかった。但し、フランキー堺は後年「あのとき監督に賛成しておくべきだった」と語っている。 ただし、両者のラストシーンは共にそれまでの軽快なタッチとは異なり、墓場という風景に対し「陰鬱で、嫌悪と恐怖を抱かせる存在」として描かれており、そこから逃避するという点では一貫している。このラストについては、川島の日活に対するの怒りが撮り逃げという形で表れたとする説、「サヨナラだけが人生だ」という言葉を残した川島の人生哲学が反映したとする説、あるいは故郷の恐山に対する嫌悪と畏怖など諸説がある。 この没となったラストシーンは、後に様々な映画人によって意識的、無意識的に踏襲されている。今村は自身のドキュメンタリー映画『人間蒸発』で、ラストシーンの部屋がセットだという事を観客に明かし、映画とドキュメントと現実社会の境界の曖昧さを問い掛けた。川島と同郷である寺山修司は、恐山を舞台にした『田園に死す』のラストで、東北の旧家のセットが崩壊すると、その後ろから1970年代の新宿駅東口交差点が現われる演出をしている。また、崩壊したセットの周囲を現代人となった映画の登場人物たちが往来するシーンなどにも、影響が見受けられる。アニメーター・映画監督の庵野秀明は、『新世紀エヴァンゲリオン』制作中に「『幕末太陽傳』をやりたかった」と各媒体でたびたび語っており、テレビ版最終回で実写のスチル映像が紛れ込んだり、「もう一つの可能性」と称してまったく雰囲気の異なる学園ラブコメになり、その最後がアフレコ台本で終わるのも、本作のラスト、そして川島の積極的逃避哲学から影響を受けた結果であるという。また、2021年公開の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストシーンは、主人公の碇シンジがマリと走り出すと画面が実写の宇部新川駅に切り替わり、駅から出てきた2人が宇部の街へと走っていくという、本作のボツとなったラストシーンと同様の画面展開となっている。
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