幻のホンダF1マシン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 02:10 UTC 版)
「ハーベイ・ポスルスウェイト」の記事における「幻のホンダF1マシン」の解説
ティレルは小さく資金に乏しいチームではあったが、彼はF1の世界で広く尊敬を集めており、すぐにホンダF1プロジェクトのテクニカル・ディレクターに招かれた。当時、ホンダはシャーシも含めたフルコンストラクターとしてF1に復帰することを計画しており、ポスルスウェイトが評価用のマシンRA099を設計し、ダラーラに製作を委託した。 1999年にはヨス・フェルスタッペンがRA099のテストドライブを担当し、好タイムを記録したものの、ホンダ側では人事変更などにより参戦計画が流動的な状況となった。同年4月、スペインのサーキットでテストを行っている最中、ポスルスウェイトは心筋梗塞で倒れ、そのまま不帰の人となった。ガスコインの談話によると、急死後に関係者が所持品を調べたところ、システム手帳に「胸の痛みを医者に診てもらう」という予定書きが残っていたという。その後、ホンダはコンストラクターとしての参戦を取り止め、エンジンサプライヤーとして第3期F1活動を行うことを決定した。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1999年のル・マン24時間レースで総合2位に入ったトヨタ・GT-One TS020は、公式にはアンドレ・デ・コルタンツの設計とされているが、設計段階ではポスルスウェイトもデザインに参加していたとも言われる[要出典]。TS020やティレル019の様な革新的なマシンも設計していながら、サウバーC12やフェラーリF93Aの様なコンサバティブなマシンの設計も行っていたポスルスウェイトは、博士の称号に相応しいデザイナーとして賞賛された。
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