RA099とは? わかりやすく解説

RA099

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:14 UTC 版)

ホンダ・RA099」の記事における「RA099」の解説

1998年3月ホンダコンストラクターとしてのF1復帰宣言発表された。この後テスト向けて製作されマシンがRA099である。B・A・R買収されティレルから離脱したポスルスウェイトやデンシャムらがイギリス拠点設けて設計テスト担当1998年12月に初走行行い1999年にかけてテスト走行重ねたシャシー全体的に太目で、手堅いデザインにまとめられている。フロントノーズはそれほど高く持ち上げられずにコクピット前方から緩やかなライン描きフロントウイング上部に至る。当時エイドリアン・ニューウェイデザインしたマクラーレンMP4-13はじめた重心スタイル踏襲している。フロントサスペンションロアアームはモノコック下端装着されている。 エンジン無限ホンダジョーダンジョーダン・199)に供給しているのと同じ、MF301HDエンジン搭載したカラーリングは、最初にシェイクダウンが行われたイタリアのバイラーノのときはホワイト基調ながら赤色ストライプ入ったのだった本格的なシェイクダウンであるフィオラノ時にはボディは白一色に変わり前後ウイング翼端板リヤウイングのアッパーウイングのフラップ及びサードエレメントだけに赤いカラーだった。その後1月23 - 25日のヘレステスト以降マシン全体白色になり、ホンダロゴ入っているというカラーになった。 このヘレステストは1999年参戦するF1チーム合同テストに特別参加したのだったが、テストドライブ担当したヨス・フェルスタッペン駆るRA099が3日間にわたってトップタイムをマークした。他のチームからは「規定重量より軽い状態で走っているのでは?」といった声も聞こえるほど好タイム記録実際に車重規定重量上でフェルスタッペンは後に「FIA検査官がわざわざウェイトチェックに来た」が問題なしとなり「もちろん無駄足さ、お生憎様というやつだな」と語っている。またマシン挙動も「アンダーステア気味なところを除けば、ほとんど文句つけようがないクルマだった」という。その後各地テスト繰り返していたが、4月ポスルスウェイトテスト走行現場で体調崩し亡くなってしまう。 この出来事からしばらくしてホンダコンストラクターとしての参戦あきらめ2000年からB・A・Rエンジン供給車体開発協力をすることを決定した当時ホンダ社長であった吉野浩行は、「技術には興味があるが、チーム運営には(興味は)ない」とのコメント発表したテスト使用されたRA099はその後ツインリンクもてぎ内のホンダコレクションホールにシャーシナンバー3が展示されており、見学することができる。また、実際にエンジンをかけての走行テストが行われることもある。シャシーナンバー3でわかるように、本マシンテスト用に1台作った、というものではなく実戦投入を可能とするようなプロジェクトの規模であり、実戦が無いにも関わらず7台が製造された。またモータースポーツジャーナリストの小倉茂徳は、RA099を作るにあたりホンダからダラーラ供与されたカーボンコンポジット技術により、以後ダラーラ量産フォーミュラマシンの質が飛躍的に上がった、と述べている。

※この「RA099」の解説は、「ホンダ・RA099」の解説の一部です。
「RA099」を含む「ホンダ・RA099」の記事については、「ホンダ・RA099」の概要を参照ください。

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