幻の三木内閣とは? わかりやすく解説

幻の三木内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「幻の三木内閣」の解説

芦田内閣総辞職後10月9日連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー会見するマッカーサー三木対し芦田後継首班になる意思がないか尋ねた社会党首班片山内閣民主党首班芦田内閣続いて、残る国民協同党党首である三木首相となることは不自然ではなかった。民政局のケーディスはマッカーサー対し三木首班推薦しており、マッカーサー要請はケーディスの意見よるものであった考えられる。ただし民政局民自党党首吉田茂首相となることを嫌い、山崎猛民自党幹事長首班擁立するいわゆる山崎首班工作進めており、三木芦田後任首相候補一人として位置づけであった考えられる。 この時三木は「野党第一党吉田首班とすべき」とし、マッカーサー要請断ったとされる三木判断背景には、まず自らが党首務め国民協同党少数党であり、少数党から首相出たところで政権維持が困難であることは自明であった次に芦田内閣倒壊後の情勢判断があった。社会党左右まとまらない状況に陥っており、民主党民自党との連携主張する勢力もあったが、結局10月12日下野決定した民主党首班指名において誰に投票するかを協議した結果当初山崎猛投票する方針となったが、山崎議員辞職してしまったため、三木投票しようとの声が上がった結局代議士会白票三木吉田の三案の中から決することとし、まず三木吉田無記名投票行った結果三木吉田上回った。そこで三木白票かを挙手してみたところ白票上回ったために民主党首班指名白票投ずることに決した。つまり社会党民主党当時三木首班でまとまる情勢ではなくブレーン矢部三木に対して首相にはならず中道勢力結集進めるよう助言したこのような情勢ではマッカーサー要請受け入れたところで三木政権成立できた可能性高くなかったとする見方がある。一方マッカーサー三木政権担当要請したことを錦の御旗とすれば政権獲得可能性十分にあったとする説もある。 三木当時まだ41歳若さであり、中道政治進めていけば遠からずチャンス訪れると考えた思われる。しかも片山芦田の両政権政権内部対立もあって短命に終わっており、もし三木政権樹立されたとしても短命に終わる可能性高かった当時政権運営が困難であり、芦田政権後を継ぐことになる吉田政権短命になるともと考えられていて、いったん吉田政権渡してみるのも良いのではとの判断があった可能性もある。様々な紆余曲折の後、実際に三木政権の座に就くのは四半世紀余り経た26年後のことになる。

※この「幻の三木内閣」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
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