総辞職後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:10 UTC 版)
狭心症の既往があった田中に、張作霖爆殺事件で天皇の不興を買ったことはやはり堪えた。退任後の田中は、あまり人前に出ることもなく塞ぎがちだったという。内閣総辞職から3ヵ月もたたない1929年(昭和4年)9月28日、田中は貴族院議員当選祝賀会に主賓として出席するが、見るからに元気がなかった。 そして翌29日午前6時、田中は急性の狭心症により死去した。65歳没。田中の死により、幕末期より勢力を保ち続けた長州閥の流れが完全に途絶えた。 昭和天皇は、田中を叱責したことが内閣総辞職につながったばかりか、死に追いやる結果にもなったかもしれないということに責任を痛感し、以後は政府の方針に不満があっても口を挟まないことを決意した。
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