市民社会と暴力・恐怖政治
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「マルクス主義批判」の記事における「市民社会と暴力・恐怖政治」の解説
ドイツ思想史研究者の神田順司は、マルクスの市民社会論はヘーゲルを歪曲して、既存制度の歴史的文脈を否定したものであるが、これがレーニンらによる暴力行使の理論的素地となったと指摘する。 ソ連崩壊後に公開されたマルクス・レーニン主義研究所中央文書館やKGB中央文書館の極秘文書によれば、レーニンをはじめとしたボリシェヴィキの指導者たちの多くは、生活のために働いた経験もなく、党の資金に寄生して暮らす「労働者階級」とは無縁の存在であった。しかもその資金のほとんどは、銀行強盗、現金輸送車の強奪、詐欺などで略奪されたもので、ボリシェヴィキの強盗団の頭目がスターリンだった。こうした手法は1906年にロシア社会民主労働党第四回党大会でメンシェヴィキから批判されて否決されたが、その後もレーニンの指示で続けられた。また、テロルによる恐怖支配は、レーニンが権力を強化するために用い、強制収容所や大量虐殺は、ボリシェヴィキの経済政策が破綻するなか、農民や労働者の反乱に戦慄したレーニンが独裁支配を維持するために導入したものだった。 マルクスの革命論では、革命後の社会については不明瞭で、「プロレタリアの権利宣言」があっても、実効性のある制度としての法も人権もなく、権力の正当性についての制度的保証も責任規定もなかった。レーニンはこうしたマルクス主義の粗暴な側面を明け透けに表明し、大衆を動員して「人民の敵」と決めつけ、暴力を行使していった。レーニンは1917年12月に「革命の利益は憲法制定会議の形式的権利に優る」と宣言して、革命ロシアにおける民主主義の可能性を暴力によって粉砕した。 マルクスは、ヘーゲルの法哲学批判において、ヘーゲルが「国家と市民社会の対立」を前提していると批判するが、実際にはヘーゲルはそのような主張をしていない。ヘーゲルは市民社会を利害の闘争の場であるが、職業団体(同業者組合)は共通利益を国家に提示する一方で、官僚はそうした利害を調整することで、「近代国家の原理」の実現を目指すと考える。マルクスは、ヘーゲルによる市民社会の国家との媒介のダイナミズム論を理解しようとせずに、「ヘーゲルは普遍的なものを独立させておいて、私的利害という経験的存在と混ぜこぜにし、それを無批判に理念の表現と見做す」と批判するが、これは外在的批判にすぎず、その後マルクスがヘーゲルの行政権論を論評ぬきで書き写している事実は、マルクスがヘーゲルを理解できないままに理論破綻していることを示すと神田順司は指摘する。 マルクスはヘーゲルが国家と市民社会の「分離」から出発し、官僚制はこの分離に基礎を置いているとし、「職業団体は官僚制の唯物論であり、官僚制は職業団体の精神論である」「職業団体は市民社会の官僚制であり、官僚制は国家の職業団体である」「官僚制は国家の市民社会として、職業団体という市民社会の国家に対峙する」と論じるが、これらは「屁理屈としかいいようのない論理」であると神田は批判する。マルクスはフォイエルバッハの批判を用いて、ヘーゲルは「国家と市民社会の対立」という「二元論」を前提しているとして批判したが、マルクスのいうこの二元論をヘーゲルは主張していないのであり、これは捏造にもとづく批判である。 ヘーゲルは歴史的文脈を踏まえて近代市民社会の矛盾を考察し、既存制度の改革によってドイツをいかに近代化するかに腐心した。これに対して、マルクスは憲法を「政治的国家と非政治的国家との妥協」とみたり、議会を「市民社会の政治的幻想」として否定し批判するが、制度的規定を欠いた「民主制」という現実から乖離した夢想をもって理論破綻している、と神田はいう。さらにヘーゲルは、国家に悪意を前提するような見方は、「市民生活と政治生活とを相互に切り離し、政治生活をいわば宙に浮かしてしまう」立場であると批判していたが、まさにマルクスは、このヘーゲルの批判する立場にいたのであり、マルクスがこの箇所以降、書き写しや乱れをみせていることがマルクスの草稿に残っており、マルクスが当惑し、理論破綻していることを示すと神田はいう。なお、現行のマルクス・エンゲルス全集では、こうした草稿における論評抜きの書き写しなどを削除しているが、これは史料への加工であり、問題である、と神田は批判している。 こうした市民社会論以外でも、たとえばヘーゲル哲学における「理念」は、空虚な構想物ではなく、「概念とその現実態」としてヘーゲルは説明しているが、マルクスはこれを「抽象的ないし論理的な理念」として取り違え、その取り違えに基づいてヘーゲルを批判するなど、マルクスのヘーゲル理解は稚拙であると神田はいう。 このように、マルクスのプロレタリア革命論は、その市民社会論を前提としているが、それはヘーゲルの法哲学の曲解と一面化して、近代的な法・政治的カテゴリーを排除するものであり、したがってまた、歴史的に形成されてきた法・政治制度・規範・モラルなどをまったく意に介さないレーニンの恐怖政治政策が生まれる理論的素地を用意するものとなっていった。
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