士官生徒制度とは? わかりやすく解説

士官生徒制度(フランス式旧陸軍士官学校制度)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:24 UTC 版)

陸軍士官学校 (日本)」の記事における「士官生徒制度(フランス式旧陸軍士官学校制度)」の解説

1874年明治7年11月2日陸軍士官学校条例 により、12月市ヶ谷台陸軍士官学校開校され1875年明治8年2月第1期士官生徒入校した。いわゆる旧陸軍士官学校ないしは陸士呼ばれるのである教育制度フランス式で、フランス陸軍から招聘した教官指導した。 この修業期間兵科によって異なっていた。歩兵騎兵当初2年であったが、1876年明治9年)に3年変更された。砲兵工兵当初3年であったが、1876年明治9年)に4年1881年明治14年)に5年へと延長された。砲兵工兵在校期間が長く少尉任官した後も在校した。これを生徒少尉称した。士官生徒制度は第11期生までで終わった士官生徒卒業生は1285名)。 学習内容は1学年では幾何学代数学力学理学化学地学。2学年軍政学兵学築城学・鉄道通信学などを学ぶ。 この教育制度特徴砲兵工兵教育期間長いことであった加えて、後の士官候補生制度ドイツ式陸軍士官学校制度)とは異なりフランス式幼年学校出身者には、兵や下士官経験踏ませることなく軍隊内のエリートとして将校養成したことであった。これは将校へなり手少なかった近代フランスでは有効であり、早急に近代的な将校が必要とされた日本でも有効であったとはいえ設立当初生徒エリート育成とは程遠い荒くれ者ばかりで喧嘩絶えず、歩兵科至って素行点が零点というものがほとんどであった。特に2期生3期生大規模な喧嘩は有名で、軍法会議放校処分になった者が出るほどであった近代フランスでは、ドイツとは異なり宮廷官僚や、行政司法官僚地主などの、貴族の子弟から将校輩出する将校任用制度は、フランス革命とナポレオン戦争中、消滅していた。フランス革命軍およびナポレオン軍では、将校は、平等に互いに選び合う、兵と下士官互選選挙によって選ばれ軍団管轄する元帥によって採用され任用された。しかしルイ王時代士官学校入学許可貴族子弟だけで、互選将校過去専門士官学校教育受けていなかったため、騎兵元帥ミシェル・ネイのごとく、各兵科間の戦術融通性をしばしば欠いた旺盛な戦意のあまり攻勢固執し撤退時期を誤るなど戦略眼の狭い者もいた。フランス革命とナポレオン戦争中の身分制による将校消滅後近代フランスでは、裕福な官僚ブルジョワジーから高学力の子弟を募集し試験制度によって幼年学校士官学校入校させ、士官学校卒業将校任用した。彼らの教養ある裕福な父母懐柔するため、粗野な兵や下士官から隔絶された、まったくのエリートとしての将校教育制度成立した日本ではフランス式旧陸軍士官学校へは、フランス式幼年学校出身者のみならず戊辰戦争経験した兵卒上がり部隊下士官や、田中義一のように下士官養成機関であった教導団出身下士官なども入校した。フランス式旧陸軍士官学校特色一つは、そのような下士官将校取り立てることであった。彼らは年長少尉となり、陸大閥が出現する以前長州閥や薩摩上原勇作派を中心とした、陸軍将校団の主軸ともなった他方フランス式幼年学校から、フランス式旧陸軍士官学校入学した若年層がいた。彼らは、明治維新没落した貧困な旧藩などの初等教育ほどこされ子弟であったともされている。後のドイツ式陸軍士官学校制度とは異なり、彼らは教育になった平時中隊内務班派遣されることがなかったため、兵や下士官経験を経なかった。このためフランス式幼年学校出身で、フランス式陸士卒業した若年少尉は、隊付将校となってもしばしば軍隊勤務適性なく、中途退職する者が多く出た。 なおフランス式陸士入学者には、旧制中学校出身者含まれていない。その理由は、初の中学校令であった1886(明治19)年4月勅令第15号中学校令』によって、旧制尋常中学校が、高等中学校(後の旧制高校と共に設置された。すなわちフランス式旧陸軍士官学校は、明治19年勅令第15号中学校令』が公布され以前制度だったからである。旧第2期井口省吾や旧第11期奈良武次が、旧制中学校卒業ではなく私塾私立学校卒業後、フランス式陸士入学したのは、旧制中学校制度がまだできていなかったからである。次にあげる、初のドイツ式陸軍士官学校官制』の公布は、明治20年勅令25号によってであり、明治19年勅令帝国大学令』『中学校令発布後であった。 1877年西南戦争の際にはまだ入校して1、2年足らずの1期生2期生見習生として動員され校長曾我祐準陸軍山縣有朋までもが出兵している。この影響同年2月入学する予定3期生西南戦争同年5月まで待機させられており、秋山好古などがその一人であった

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