境界性パーソナリティ障害の有名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:58 UTC 版)
「境界性パーソナリティ障害」の記事における「境界性パーソナリティ障害の有名人」の解説
過去(または現在)BPDだったとされる有名人は、ヘルマン・ヘッセ、太宰治、ダイアナ妃、マリリン・モンロー、ウィノナ・ライダー、弁証法的行動療法を開発した心理学者のマーシャ・リネハンがいる。 太宰治は慢性的な虚無感や疎外感を抱えていた。安定している時期は自己愛的性格だったが、不安定時は感情統制が困難であったとされ、芥川賞を逃した時の怒りは常軌を逸していたという。感受性が強く、なおかつ高い知能を持っていた太宰がパビナール依存に陥ったのはごく自然な成り行きだったのかもしれない。また、離人感や自殺念慮も有しており、自殺(心中)未遂を繰り返し、5回目で自殺完遂に至った。28歳の時には精神科病院である江古田の東京武蔵野病院へ入院している。 マリリン・モンローも7回に及ぶ自殺未遂を繰り返し、薬物の過量服薬で死去した。母子家庭であったが、母親はうつ病で何度も精神科病院に入院しており、孤児として育てられたモンローは、愛情に飢えていたが、他者との親密な関係を保ちにくかったといわれる。睡眠薬とアルコールの依存症になり、1954年から精神分析医による治療を受けている。主治医はモンローについて「いつも自分を価値のないつまらない人間だと思っていた」と振り返る。死の数日前のインタビューでは、女優としてのこれからの展望と抱負を語り、また別のインタビューでは「世界が必要としているのは本当の意味での親近感です。どうぞ私を冗談扱いにしないで下さい」と述べている。 BPDで入院歴もあるウィノナ・ライダーは、主演・制作総指揮をした映画『17歳のカルテ』で、BPDの主人公スザンナ役を演じている。映画の原書となったノンフィクション小説『思春期病棟の少女たち』 に惚れ込んだ彼女は、映画化権を買い取り制作にも参加した。原作者のスザンナ・ケイセンは、10代の頃にBPDと診断されたが、治癒した後に作家になり同自伝的小説を書いた。スザンナは現在でも小説家として活動を続けている。 なお、ウィノナ・ライダーは「バカに見える」という理由で元来ブロンドである髪を黒く染めており、女優業については長い間、軽薄で恥ずかしい仕事だと思っていたという。 ダイアナ妃もリストカットなどの自傷行為、過食嘔吐の摂食障害を克服した人物として知られている。特に王妃として公人生活を送るようになってからは、衆人の目にさらされるストレス、夫婦間の諍いにより摂食障害が悪化し、カミソリやレモンスライサーで体を切ったり、夫のチャールズと口論中にテーブル上にあったペンナイフで自分の胸や腿を刺すなど衝動的な行動を取ることもあった。慢性的なうつ状態もあり、大勢の心理療法士や心理学者、精神分析医にかかっていた。後年のダイアナはチャリティー活動に生きがいを見出し、対人地雷の廃絶、ホームレスやエイズ患者、暴力被害や薬物依存症の女性問題に取り組むなど、既存の枠に捕らわれない奉仕活動を行い、「病んでいる人、苦しんでいる人、虐げられた人とともに歩んでいる」と称えられ、世界中で愛された。 弁証法的行動療法を開発したワシントン大学博士のマーシャ・リネハンは、17歳の時にひきこもりとなり精神科病院に入院した。当初の診断名は統合失調症であった。薬物療法を受け始め、その後何時間ものフロイト式精神分析や30回に及ぶ電気けいれん療法も行ったが症状は改善せず、自傷行為の激しさのために2年以上も入院生活を送り、退院後も自殺未遂を起こした。退院後は保険会社の事務員として働きながら、ロヨラ大学の夜間部に通い心理学を勉強し、1971年に博士号を取得して心理学者となった。
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