地域別の建築様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:53 UTC 版)
ヨーロッパの建築史上の主な建築様式には、ギリシア建築、ローマ建築、ビザンティン建築、ロマネスク建築、ゴシック建築[疑問点 – ノート]、ロシア建築、ルネサンス建築、ロココ建築[疑問点 – ノート]、新古典主義建築など、近代ではアール・ヌーボー、アール・デコ、国際様式、ポスト・モダン等が挙げられる。[疑問点 – ノート] また、建築様式の定義に当てはめると、ロマネスク様式はローマの建築様式を基にした、教会堂などにあわせ、鐘楼、ステンドグラス等を付け加えた箇所、また、アヤソフィア等に代表されるビザンティン建築では、アジア的なドーム、アーチなどのローマ建築から継承した特徴、等が特徴として挙げられる。 これらの建築様式は細かい分類の条件など地より様々な形で細分化する事ができ、例としてローマ建築は末期ローマ建築を包括する。また、共通性の抽出の仕方もさまざまであるために、建築様式の名称は無数に考え[疑問点 – ノート]る事が出来る。 西洋における建築様式の建物は、前期には神殿や公共建築物のために、中期には教会のための建築として発展した。また、後期には宮殿や市民の為の建築にも「様式」は用いられるようになった。 また、西洋の建築様式は明確に分類する事が出来ないことも少なくない。例として、ローマ帝国の滅亡後にローマ建築を継承したビザンティン建築は、初期の時期にはローマ領で発達した末期ローマ建築の要素と初期キリスト教建築が混在している。従って、両者の明確な区別はほとんど不可能で[疑問点 – ノート]、緩やかに「ビザンティン建築」に進化して行ったと考えられてる。 西洋の建築様式においては、そのスタイルが時代遅れになった後、復活と再解釈が発生することもある。たとえば、古典主義は何度も復活し、新古典主義としての新しい生命を見出した。それが復活するたびに、それは異なる意味合いや様式を帯びてゆくことが多い。スペインのミッションスタイル(Spanish Colonial architecture)は100年後にミッション・リヴァイヴァル建築(Mission Revival architecture )として復活し、すぐにスパニッシュ・コロニアル・リヴァイヴァル建築(Spanish Colonial Revival architecture)へと進化した。 アジアの建築史上の主な建築様式には、ペルシア建築、ヒンドゥー建築、仏教建築、ヘレニズム、日本建築、イスラム建築、ムガル建築、チベット建築等が挙げられる。 アジアは西洋よりも広大、かつ民族の系統や文化も多岐にわたり、また、西洋の様に統一性を持つ事が多く無かった。そのため、アジアではたいへん多様な建築[疑問点 – ノート]様式が開花し、それぞれ独特な進化を遂げた。また、建築材料も建築技術も多岐にわたる[疑問点 – ノート]。しかし、イスラム建築は7世紀から18世紀、ないしは19世紀までの期間に、イスラーム文化圏で形成された建築を指して[疑問点 – ノート]おり、アジアの他にもイスラム教の信仰される中央・北アフリカからインドネシア領までで使用され、一定の統合的な原理を持[疑問点 – ノート]つ。また、イスラム建築は、古代建築の特徴を西洋建築よりも色濃く受け継いでいる[疑問点 – ノート]、と言われている。 西アジアや中央アジアの建築様式は、古代オリエントの建築様式(古代エジプト建築、ペルシア建築、イラン建築など)の要素を色濃く受け継ぎ繁栄したが、東アジアや東南アジアでは西アジアの建築様式の影響を受けつつも、それらとはまた異なった建築様式が開花した。 それらの建築様式の出発点は古代の中国であり、中国文明で興った建築様式の影響を受けて日本建築や朝鮮建築、チベット建築、ベトナム建築が発生した。それらの建築様式は、中国王朝との冊封関係や交易、仏教の伝播によって文化と共に伝わったものと土着の建築様式やその地域の風習や気候などに合わせて混ざり合った結果、成り立った建築様式が多い。 その他に、アジアでは多種多様な建築様式が開花した。 アフリカにおける主な建築様式は、古代エジプト建築、イスラム建築(イスラム教に伴う伝播)、土屋などが挙げられる。 その内、もっとも古代から存在したと考えられている古代エジプト建築は、古代エジプト文明において発展した建築様式であり、その建築様式は古代エジプト文明で独自の発展を遂げた建築様式ではある。この建築様式は他の文明における建築様式に多くの影響を与え、のちにビザンティン建築(ビザンティン様式)、近代建築などにも多くはないが影響したと考えられている。古代エジプト建築は、ナイル川の川岸に多様な建築物と巨大な記念碑を極めて多数建造し[疑問点 – ノート]、それらの中ではギーザのピラミッドや様々なスフィンクス、ルクソール神殿、フィラエ神殿、アブシンベル、エジプト国外ではメロエ(いずれも世界遺産)などが挙げられる。 また、中世における北アフリカへのイスラム教の信仰の浸透において、アラビア半島で発達していたイスラムの建築様式が持ち込まれ、のちに王朝が分裂するとモロッコ、チュニジア、エジプトなどの地域で異なる色あいを帯びた建築様式が開花した。その過程で、エジプトでは古来の建築様式をはじめとする文化は消滅した。 イスラム建築はいまでも北アフリカでは用いられる。 また、その他にも土着の民族による建築様式が発達したし、近代の植民地化において西欧の建築様式が輸入されたりもした。 現在でも、アフリカ地域では伝統の建築様式が用いられ続けている。
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