イスラーム文化圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:41 UTC 版)
詳細は「イスラーム美術」を参照 イスラーム教の布教が始まる直前のアラビアでは神像を使用した宗教的儀式が盛んであり、その神像は例えば、石の彫刻像などであった。イスラーム教はこうした神像を「偶像」と呼び、その宗教伝統を「偶像崇拝」として厳しく批難した。このような歴史的文脈を持って成立した宗教であるため、この宗教の影響下にあった文化圏では造形美術の発展が抑制された。しかしクルアーン中に「造形すること」を明示的に禁じる言葉は存在せず、造形美術に対してどのような態度をとるかは、各時代・各地域の為政者や知識人に解釈・判断が委ねられた。例えば、マグリブ西方イスラーム世界では厳格な態度が取られてきたのに対し、ペルシアやインドでは緩やかであった。造形表現の形態によっても異なり、立体的造形表現(ティムサール)、特にスタンドアローンで成立しているような形態の表現は忌避された。アラビア語では平面的な造形表現をタスウィール taṣwīr といい、立体的な造形表現をティムサール timthāl というが、壁面レリーフやファサード飾りはタスウィールにカテゴライズされる。動植物に象る立体彫刻であっても壁面レリーフやファサード飾りの一部を構成する限りは許容された。造形表現の置かれる文脈によっても解釈は影響を受け、公的空間に置かれるような宗教的な聖画や聖像の類は偶像崇拝と紛らわしいため一切制作されなかったが、権力者や富裕な市民が私的空間で使用する実用物に彫刻される場合には宗教的規制の及ばないことも頻々であった。 レリーフや透かし彫りにおける彫刻の大部分はアラベスクの装飾で、野菜のモチーフに基づきながらも幾何学的文様の傾向がある。ごく初期のムシャッター宮殿のファサード(740年代、現在は大半がベルリンにある)では、高浮彫りで密集したアラベスクの中に動物がおり、浅浮き彫りでは動物や人間の像が後世の多くの装飾と関連して、金属細工、象牙、陶器などの様々な素材で見つかっている。 丸彫りの動物像は、そのオブジェが明らかに実用的であれば私的な文脈で使われるものとして受け入れられることも多く、そのため中世のイスラム美術には多くの金属動物像が、水差し、香炉、噴水の土台(アルハンブラ宮殿の有名な噴水を支える石のライオンなど)等に見られ、中世イスラム最大で知られる動物像ピサのグリフィンで最高潮に達する。同様に、短剣の柄や杯などの高級な貴石彫刻も動物形状を取る(特にムガル美術だと)場合がある。厳格なイスラム規則でのこうした緩和容認の程度はその時期や地域によって異なり、イスラム圏スペイン、ペルシア、インドがしばしば緩和をもたらした ムシャッター宮殿のファサード、ダマスカス近郊より出土、740年代 ピサのグリフィン、高さ107cm、恐らく11世紀 青いアラベスク装飾の背景に白い書道作品がある陶器板の一部、サマルカンド出土、15世紀。 ヒスイ、金、ルビー 、エメラルドでできた柄のついているムガール帝国時代の短剣。刀身は金がちりばめられたダマスカス鋼
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