イスラーム武装勢力との対立とジュバ渓谷連合の終焉
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2006年、イスラーム武装勢力、イスラム法廷会議が急激に勢力を伸ばした。9月24日までにジュバ渓谷連合はキスマヨを撤退し、イスラム法廷会議は数百人の民兵を使って戦闘無しにキスマヨを占拠した。同じ9月24日にジュバ渓谷連合副議長のユスフ・ミア・モハマドは「ジュバ渓谷連合は崩壊した」と述べた。イスラム法廷会議は、検問所の廃止や福祉の充実、ごみの回収など、いわば公共事業を重視したため、地元住民は歓迎した。 2006年10月、ジュバ渓谷連合の司令官としてアブドゥラヒ・シェイク・イスマエル・ファラタグ(英語版)が任命され、イスラーム武装勢力への反撃を誓った。しかし、もはやヒラーレらマレハン氏族だけの組織となっており、拠点もバルデラのみになっていた。 2006年12月末、隣国エチオピアが本格的に軍事介入し、イスラム法廷会議は急速に崩壊した。
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