四国艦隊による下関占領(1864年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「四国艦隊による下関占領(1864年)」の解説
米国及びフランスの報復攻撃は、一定の成果はあげたものの、長州藩は砲台を修復し、下関海峡は依然として封鎖されたままだった。これは日本と貿易を行う諸外国にとって非常な不都合を生じていた。アジアにおいて最も有力な戦力を有するのはイギリスだが、対日貿易ではイギリスは順調に利益を上げており、海峡封鎖でもイギリス船が直接被害を受けていないこともあって、本国では多額の戦費のかかる武力行使には消極的で、下関海峡封鎖の問題については静観の構えだった。だが、駐日公使ラザフォード・オールコックは下関海峡封鎖によって、横浜に次いで重要な長崎での貿易が麻痺状態になっていることを問題視し、さらに長州藩による攘夷が継続していることにより幕府の開国政策が後退する恐れに危機感を持っていた。日本人に攘夷の不可能を思い知らすため「文明国」の武力を示す必要を感じたオールコックは長州藩への懲罰攻撃を決意した。オールコックのこの方針にフランス、オランダ、アメリカも同意し4月に四国連合による武力行使が決定された。1864年7月22日(元治元年6月19日)、四国連合は20日以内に海峡封鎖が解かれなければ武力行使を実行する旨を幕府に通達する。 9月4日(8月4日)、四国連合艦隊の来襲が近いことを知った藩庁はようやく海峡通航を保障する止戦方針を決めたが、艦隊は既に戦闘態勢に入っており手遅れであった。5日午後、四国連合艦隊は長府城山から前田・壇ノ浦にかけての長州砲台群に猛砲撃を開始した。長州藩兵も応戦するが火力の差が圧倒的であり、砲台は次々に粉砕、沈黙させられた。艦隊は前田浜で砲撃支援の下で陸戦隊を降ろし、砲台を占拠して砲を破壊した。6日、壇ノ浦砲台を守備していた奇兵隊軍監山縣有朋は至近に投錨していた敵艦に砲撃して一時混乱に陥れる。だが、艦隊はすぐに態勢を立て直し、砲撃をしかけ陸戦隊を降ろし、砲台を占拠して砲を破壊するとともに、一部は下関市街を目指して内陸部へ進軍して長州藩兵と交戦した。7日、艦隊は彦島の砲台群を集中攻撃し、陸戦隊を上陸させ砲60門を鹵獲した。8日までに下関の長州藩の砲台はことごとく破壊された。長州藩の主力は京都へ派遣されており、このため下関守備の長州藩兵は旧式銃や槍弓矢しか持たず、新式の後装ライフル銃を持つ連合軍を相手に敗退した。9月8日、戦闘で惨敗を喫した長州藩は講和使節の使者に高杉晋作を任じた。18日に下関海峡の外国船の通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸の許可、下関砲台の撤去、賠償金300万ドルの支払いの5条件を受け入れて講和が成立した。ただし、賠償金については長州藩ではなく幕府に請求することになった。これは、巨額すぎて長州藩では支払い不能なこともあるが、今回の外国船への攻撃は幕府が朝廷に約束し諸藩に通達した命令に従ったまでという名目であった。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲英国 ユーライアラスEuryalus 蒸気スクリューフリゲート 1853年改造 積載量2371トン(bmトン)排水量3125英トン 540 400NHP 110ポンドアームストロング砲x540ポンドアームストロング砲x8その他22門カロネード砲x16 コンカラーConqueror 蒸気スクリュー戦列艦 1859年改造 積載量2845トン(bmトン 830 500NHP2048IHP 68ポンド砲x18インチ砲x3232ポンド砲x56下関戦争時は合計48門 レオパードLeopard 蒸気外輪フリゲート 1851年 積載量1406トン(bmトン) 310 560NHP 110ポンドアームストロング砲x110インチ砲x132ポンド砲x4 バロッサBarrosa 蒸気スクリューコルベット 1862年 積載量1700トン(bmトン) 240 400NHP 110ポンドアームストロング砲x18インチ砲x20 ターターTartar 蒸気スクリューコルベット 1854年 積載量1296トン(bmトン) 250 250NHP 110ポンドアームストロング砲x140ポンドアームストロング砲x48インチ砲x14 アーガスArgus 蒸気外輪スループ 1852年 積載量981トン(bmトン) 175 300NHP 110ポンドアームストロング砲x110インチ砲x132ポンド砲x4 パーシュースPerseus 蒸気スクリュースループ 1861年 積載量955トン(bmトン) 175 200NHP 40ポンドアームストロング砲x568ポンド砲x132ポンド砲x8 コケットCoquette 蒸気スクリュー砲艦 1855年 積載量677トン(bmトン) 90 200NHP 110ポンドアームストロング砲x110インチ砲x132ポンド砲x120ポンド砲x2 バウンサーBouncer 蒸気スクリューガンボート 1856年 積載量233トン(bmトン) 40 60NHP 68ポンド砲x2 フランス セミラミスSemiramis 蒸気スクリューフリゲート 1863年改造 排水量3830トン 521 1664IHP 35 デュプレDupleix 蒸気スクリューコルベット 1863年 排水量1795トン 203 1215IHP 6.4インチ砲x10 タンクレードTancrede 蒸気スクリュースループ 1861年 排水量500トン程度 不明 不明 4 オランダ メターレン・クルイスMetallen Kruiz 蒸気スクリューコルベット 1862年 排水量2100トン 240 830IHP 6.3インチ砲x830ポンド砲x8 ジャンビD'Jambi 蒸気スクリューコルベット 1860年 排水量2100トン 240 830IHP 6.3インチ砲x830ポンド砲x8 メデューサMedusa 蒸気スクリューコルベット 1855年頃 排水量1700トン 不明 不明 16 アムステルダムAmsterdam 蒸気外輪軍艦 不明 不明 不明 不明 8 米国 タキアンTa-kiang 蒸気スクリュー改造砲艦 1864年 積載量609トン(bmトン) 40 120NHP 30ポンドパロット砲x1
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