吉田清治本人による証言否定?
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「吉田清治 (文筆家)」の記事における「吉田清治本人による証言否定?」の解説
もともと吉田は関係者らに配慮して当時の部下たちの名は明かせないという立場をとっていた。吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、秦郁彦によれば、秦に1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めたとされる。ただし、本質的な部分が創作であったということであれば、下記1996年の週刊新潮のインタビュー直前の3月には吉田が秦に、養子一家や元慰安婦に配慮して体験の一部は変えてある、実際には済州島ではなく全羅南道での出来事だと語ったとする、秦の話とは食い違っているようにみえる。[独自研究?] 1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビューでは、吉田は以下のように語った。 まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。-週刊新潮1996年5月2/9号 と語り、関係者に迷惑をかけないためとして当初から語っていたことではあったが、自らの証言について事実を変えた部分があることをあらためて発言した。 秦郁彦によれば、1998年(平成10年)9月2日に、秦が吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたところ、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという。 これに対して、今田真人は、新潮への回答は、元々の吉田の説明通り、明らかに関係者をまもるため、名前等の具体的内容を変えた部分があることへの説明であるのに、秦がこれを吉田が全くの詐話をしたかのように曲解していることを指摘、さらに、①なぜ、この種の重要なインタビューを電話で済ますのか、②吉田を詐話師呼ばわりしていた秦に吉田がそのようなことを本当に話したのか、そもそも対面で会ってすら貰えないから電話だったのではないか、③回答を都合良く編集してあるのではないか、との疑問を呈示している。その上で、秦郁彦の自己の都合に合わせた編集の例として、西野瑠美子その著作で、当時下関市警察にいた吉田と面識のある人物に、労務報告会で済州島に慰安婦狩出しに行ったという話を聞いた事があるかと尋ねたところ、「いやぁ、ないね。(略)しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」と回答され、さらに、下関の大坪からも在日の朝鮮人女性を集めたようですがと尋ねたところ、「(略)やったかもしれん。やったとしたら、特高でしょうなぁ。県の特高の出張所が下関署内にありましたから」と書いていることを、秦が自身の著書では、西野留美子は済州島の慰安婦狩りについて、「吉田と面識のある元警察官から『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」という風に書き、特高の可能性の部分については引用すらしていないことを指摘している。 吉田清治本人が、その著書中から事実と主張する部分と変えたとする部分とを分離修正せずに放置したまま死去したため、発言をそのまま真正の証言として扱うことは出来ず、現在では吉田証言が強制連行の存否そのものの信頼できる直接証拠として採用されることはない。 一方で、吉田が所属した労務報国会は荷役業務や土木作業に従事する日雇い労働者の動員業務に従事する民間の組織であり、軍の命令で業務を行う指示系統はない、また、労務者を集める日本内地の地方支部組織が朝鮮総督府の管轄下にある地域に出動して直接人員を集めることはないと、秦や東大教授の外村大ら否定論者からは従来主張されていたことに対して、今田真人は、思想国策協会『決戦下の国民運動』(1944年11月)に、外地労務の移入斡旋を労報〔労務報国会〕が担当することになったとの記述があることを自身が発見、否定論の主張が成り立たないことを示した。これについて、外村は、資料を自身でも確認し、管轄する業種については不明な部分があるとしながらも、朝鮮で業務を行うことがあり得ることを認め、自身の誤りを認めた。さらに、今田が他にも発見した公文書が市民団体の粘り強い運動の結果、公表されたところ、慰安所の女性についても、その雇入認可の権限を厚生大臣から地方長官(労務報国会を管轄する)に委譲することを記載した通牒等があることも判明した。
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