吉田浩一郎とは? わかりやすく解説

吉田浩一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 07:23 UTC 版)

よしだ こういちろう

吉田 浩一郎
生誕 (1974-11-16) 1974年11月16日(50歳)[1]
日本 兵庫県神戸市
出身校 東京学芸大学卒業
職業 実業家
作家
活動期間 1997年 - 現在
団体 株式会社クラウドワークス代表取締役社長 兼 CEO
著名な実績 著書『世界の働き方を変えよう』
著書『クラウドソーシングでビジネスはこう変わる』
著書『TOPの「思考回路」』
著書『クラウドワーキングで稼ぐ! 時間と場所にとらわれない新しい働き方』ほか
影響を受けたもの 孫正義三木谷浩史藤田晋クロード・モネマルセル・デュシャン勅使川原三郎寺山修司
肩書き 一般社団法人新経済連盟理事
環境省COOL CHOICE推進チーム委員
シェアリングエコノミー協会理事
公式サイト 吉田浩一郎 (@yoshidaCW) - X(旧Twitter)
吉田浩一郎 (@yoshidacw) - Instagram
吉田浩一郎 (koichiro.yoshida) - Facebook
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映像外部リンク
お金のまなびば! Official YouTube Channel
【藤野英人×吉田浩一郎】これからどう働く?急変!近未来の働き方 - YouTube

吉田 浩一郎(よしだ こういちろう、1974年11月16日 - )は日本の実業家作家。WEBサービス業クラウドワークス創業者、社長兼CEO。一般社団法人新経済連盟理事、環境省COOL CHOICE推進チーム委員。シェアリングエコノミー協会理事。兵庫県神戸市出身。東京学芸大学卒業。

経歴

兵庫県神戸市生まれ[2][3]。大手鉄鋼メーカーで働いていた父を持つ[2]。学生時代は演劇に傾倒した[2][3]

六甲学院高等学校を経て、東京学芸大学を卒業後、就職はせず、30人ほどの仲間と半年ほどかけて準備して劇団を立ち上げようとしたが、契約トラブルで200万円の借金を背負って挫折。「契約」を知らなければ仲間に迷惑をかける、やりたいことが出来なくなると考え、社会人に興味をもち、会社に入ることを決意する[4]

1999年平成11年)同級生より2年遅れてパイオニアに入社。カーナビの営業マンに配属され、2年目で営業成績1位を記録。外資系のリードエグジビションジャパンに転職して4年半仕事をするうちに、事業に興味を持ち始める。しかし会社のつくり方を知らなかったので、大前研一の起業家養成塾「アタッカー・ビジネススクール」に入塾。元ライブドア堀江貴文ガンホー孫泰蔵などIT企業経営者と交流することでインターネットビジネスへの関心を高めた[5]。インターネットビジネスという新しい世界が立ち上がっていることを知り、IT業界に入ることを決意し、学生が起業したドリコムの執行役員[6][3]として迎えられ、2006年(平成18年)に東証マザーズ上場を経験した[4]

2007年平成19年)10月にZOOEEを起業[5]したが、ベトナムでのアパレル事業に失敗[7]。合計13社を創業もしくは経営した後[8]、多様で柔軟な働き方を実現する「クラウドソーシング」に注目し[5]2011年(平成23年)11月11日にクラウドワークスを創業。クラウドソーシングサービス『クラウドワークス』のサービス開始[2]

2012年(平成24年)3月「21 世紀のワークスタイルを提供する」をミッションに「地域活性化」「女性の新しい働き方を支援する」「海外展開」の3つのテーマで事業を展開し始める。同年6月「IVS 2012 Spring」Launch Padで優勝、日経ビジネス「日本を救う次世代ベンチャー100」に選出される[9]

2013年(平成25年)初の著書『世界の働き方を変えよう』(総合法令出版)を出版する[9]

2014年(平成26年)12月、東証マザーズ上場を果たす[5]

2015年(平成27年)経済産業省の第1回「日本ベンチャー大賞」ワークスタイル革新賞(審査委員会特別賞)、グッドデザイン・未来づくりデザイン賞を受賞する。同年、本社事務所を恵比寿ガーデンプレイスに移転[5]

2016年(平成28年)環境省COOL CHOICE推進チーム委員に就任[10]

現在、一般社団法人新経済連盟理事[11]、シェアリングエコノミー協会理事[12]を務める[4]

人物

  • 幼稚園の学芸会で演技を褒められたことで演劇の世界を志そうと思った。小学校では朗読コンクールの学校代表に選ばれ、中高では学園祭の演劇演出を手掛けた。大学時代は演劇の盛んな場所にいたいと東京に上京[13]。劇団活動にのめり込んでて、将来は役者もしくは演劇で食べていきたいと考えていた。しかしある公演を計画していたときに契約とお金のことで手痛い失敗をしたことから社会人として勉強する必要があると思うようになり就職を選択する[5]
  • 東証マザーズに上場セレモニーの際、経営陣の吉田が取引所の鐘を鳴らすのが通例のところ、クラウドワークス利用者5人が鐘を叩いた。吉田からの感謝の気持ちを形に示したかったから。『働くを通して人々に笑顔を』というスローガンを第一に考えたとインタビューで答える[5]
  • こだわりは「学び続け、変革し続ける」[13]
  • 趣味はワインバレエ鑑賞、ゴルフ麻雀[13]
  • 特技は、寝つきの良さ[13]
  • 座右の銘は「志ある者は事竟に成る」[13]
  • 心に残る本はジェームズ・C・コリンズ著の「ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則」[13]
  • 尊敬する人は孫正義三木谷浩史藤田晋クロード・モネマルセル・デュシャン勅使川原三郎寺山修司[13]

著書

出典

関連項目

外部リンク


吉田浩一郎(よしだ こういちろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/07 14:19 UTC 版)

ハルノクニ」の記事における「吉田浩一郎(よしだ こういちろう)」の解説

通称コーさん。現在、高校二年生ギリと春の友人中学が同じ。理工系だが、格闘技全般に精通している。ギリを心配すると共に真実知りたい望み志乃と共にハルノクニ亡命者として迎え入れられた。ハル格闘技師匠恩師である蜂谷との戦いで左肩の関節外されたり、志乃かばって足を自衛隊員撃たれるなど、負傷する回数多かったが、大事には至らなかった。中学時代は、その類稀な格闘技の腕が災いして上級生からいじめを受け、クラスメイトからも疎まれていたが、学校屋上でひとり読書をして過ごしているうちにギリたちと出会い友人となった

※この「吉田浩一郎(よしだ こういちろう)」の解説は、「ハルノクニ」の解説の一部です。
「吉田浩一郎(よしだ こういちろう)」を含む「ハルノクニ」の記事については、「ハルノクニ」の概要を参照ください。

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