各メディアによる災害報道とは? わかりやすく解説

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各メディアによる災害報道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)

1888年の磐梯山噴火」の記事における「各メディアによる災害報道」の解説

1888年の磐梯山噴火について、最も詳細な報道行ったのは地元であった福島新であった考えられている。1888年7月福島新聞の紙面発見されていないが、東京発行の新聞転載された福島新聞の記事内容から、詳細な噴火報道が行われていたことが推測されている。また各新聞の中で最も早く磐梯山噴火報道したのも福島新であったことが、地元住民日記掲載されていた7月16日付の福島新記事抜粋記事から明らかになっている。 東京発行の各紙は、16日がたまたま新聞休刊日であったため、翌17日から磐梯山噴火に関する記事報道している。この17日報道内容各紙とも比較簡単なもので、ニュースソース公的機関からのものであった。 翌18日から、各紙それぞれの特長生かした磐梯山噴火報道展開する政府寄り新聞とされた東京日日新聞は、天皇からの恩賜金3000円の下賜侍従被災地派遣決定したことをいち早く社説取り上げた噴火報道について特派員現地派遣せず、主に現地通信員からの報告連載するという方法地元福島新聞の記事転載という形を取った。また当時経済情報に強いとされ社会的信用があった時事新報は、特派員現地派遣して取材行った特派員派遣した新聞社時事新報以外に報知新聞朝野新聞報知新聞朝日新聞などがあったが、朝野新聞以外の新聞社は、農商務省地質局、内務省地理局の専門家現地調査同行して取材行った。これは当時はまだ、災害現場で新聞記者独自取材を行うことが出来実力欠けていたためと考えられる。また専門家同行して現地取材ではあったが、現地ではやはり各紙記者による報道合戦繰り広げられたと考えられている。 各紙の中で現地取材に最も積極的に取り組んだ新聞のひとつが朝日新聞であった噴火のわずか5日前の7月10日東京進出果たした朝日新聞は、7月16日新進記者現地派遣し磐梯山噴火口現場報告する記事など発表した続いて噴火状況版画にすべく、山本芳翠山本弟子20日追加派遣した山本らも内務省土木局から派遣され古市公威同行する形で現地入りしており、やはりこれも災害取材新聞社単独で行うのは難しかった実情示していると考えられる。なお、山本らは朝日新聞紙上磐瀬村長坂磐瀬村見祢などといった被災地ルポルタージュ掲載し、更に山本描いたスケッチをもとに合田清製作した木版画磐梯山噴火真図」を新聞付録として発表している。 朝日新聞磐梯山噴火現地報道は、専門家密着した取材内容被災地ルポなど、知識欲がある新たな読者層獲得目指したものであり、噴火報道によって知名度上げることに成功した朝日新聞は、東京での発行部数急速に増やしていった。また磐梯山噴火後記者現地派遣は、濃尾地震などその後に続く災害報道先駆けとなるものとなった噴火開始から数日間報道特長としては被災者支援に関する報道少なく磐梯山噴火という自然現象に対して農商務省地質局、内務省地理局、内務省土木局帝国大学といった専門機関それぞれ専門家派遣し学術的な調査を行うといった報道が目立つことである。各紙社説記事も「被災者お気の毒であるが、磐梯山噴火地学に関する学術研究のまさに好機である」。といった論調多かった7月21日になって新聞社15合同義援金の募集発表した朝日新聞戊辰戦争戦場となり大きな被害苦しみ受けた会津が、また磐梯山噴火という大きな災難見舞われたとして、会津人民不幸に同情するという内容社説掲載した。翌22日には各紙とも義援金拠出促す社説掲載した。こうして新聞各紙これまであまり報道して来なかった被災者支援にようやく目を向け始めたその後義援金の募集犠牲者追悼記事掲載され被害状況について紹介する記事減っていった。また磐梯山噴火調査従事した専門家取材した記事や、現地取材従事した記者たちによる記事掲載されるようになった。そして8月に入る頃には、多く新聞では磐梯山噴火報道下火となっていく。 そして朝日新聞磐梯山噴火災害報道これまで見られなかった試み行った磐梯山噴火テーマとした連載小説虚無僧富士磐梯こむそうふじういわおのかけはし)」を、7月29日から8月31日までの間の29回に渡って絵入り連載したのである。この虚無僧富士磐梯作者不明であり、小説としても成功したものとは言い難いが、東京進出間もない朝日新聞読者歓心を得やすい連載小説掲載して積極的な読者獲得目指そうとしていたことの現れであると考えられる前述のように磐梯山噴火報道する新聞記事は、噴火後1週間経て被災者対す義援金応募や、現地からの専門家記者たちの生の情報掲載されるようになった噴火直後からこのような報道がなされなかった背景には、もちろん当時情報の伝達スピード問題などがあったが、やはり災報道共通の課題として指摘できる被災地それ以外の地との情報ギャップという問題突き当たる。結局現地との情報ギャップ十分に解決されぬまま報道下火となっていき、世間関心低下していった。 日本国外メディア磐梯山噴火報道したイギリスタイムズヘンリー・S・パーマー現地取材記事掲載している。またフランスル・モンド通信員であったジョルジュ・ビゴー磐梯山噴火通信文、銅版画が、ル・モンド・イリュストレ掲載された。

※この「各メディアによる災害報道」の解説は、「1888年の磐梯山噴火」の解説の一部です。
「各メディアによる災害報道」を含む「1888年の磐梯山噴火」の記事については、「1888年の磐梯山噴火」の概要を参照ください。

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