義援金の募集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「義援金の募集」の解説
福島県の集計によれば磐梯山噴火に際して集められた募金は、総額40918円58銭となった。これは新聞を通じての義援金、個人、団体が福島県などに送った義援金、天皇・皇后からの恩賜金、皇族、政府要人らの義援金の総計である。義援金は福島県、耶麻郡などを窓口として、全国の多くの新聞社、各宗教団体、慈善団体などが義援金を募った。また日本国内ばかりではなく、ハワイなど外国からも義援金が寄せられた。 中でも新聞社を通しての義援金は合計23000円余りと全体の半分を超えている。災害などに際しての新聞の義援金募集は、1885年(明治18年)の大阪の洪水時に確認されている。そして1886年(明治19年)のノルマントン号事件に際しても新聞を通して義援金が集められた。磐梯山噴火に際しては、東京日日新聞に引用されている福島新聞の記事により、地元福島新聞が7月20日より義援金の募集を開始したことが知られている。続いて7月21日からは、東京の15の新聞社が合同で義援金の募集を開始した。最終的には全国55の新聞社が磐梯山噴火の義援金を募集した。 新聞社が広く読者から災害の義援金を募ることは、江戸時代から行われ続けてきた災害時の地域内相互扶助というあり方から、広く一般社会から寄付を募るというやり方へと変わってきたことを示している。これは新聞社にとっても特定層だけではなく、広く一般に購読者を広げるきっかけにもなった。災害時の本格的な新聞社による義援金募集活動は、磐梯山噴火が初めての例であり、前述のように多くの募金を集めることに成功した。 この集められた4万円あまりの募金は、後述のように被災者の生活再建のために分配されることになった。
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