千島列島の状況と戦闘とは? わかりやすく解説

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千島列島の状況と戦闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 17:13 UTC 版)

ソ連対日参戦」の記事における「千島列島の状況と戦闘」の解説

詳細は「占守島の戦い」を参照 アリューシャン列島からの撤退により、千島列島中でも占守島はじめとする北千島脚光をあびる。当初アッツ島からの空爆対す防空戦が主であったが、米軍反攻に伴い兵力増強図られる本土決戦備えて抽出なされたのは樺太と同様であるが、北千島はその補給の困難から、ある程度の数が終戦まで確保(第91師団基幹兵力約25000人、火砲200門)された。防衛計画は、対米戦における戦訓から、水際直接配備から持久抵抗志向するようになったが、陣地構築問題から砲兵水際配備とする変則的な布陣となっていた。 8月9日からのソ連対日参戦後も特に動きはないまま、8月15日迎えた方面軍からの18日16時期限とする戦闘停止命令を受け、兵器逐次処分等が始まっていた。だが、ソ連軍15日千島列島北部占守島への侵攻決め太平洋艦隊司令長官ユマシェフ海軍大将第二極東方面軍司令官プルカエフ上級大将作戦準備実施明示していた。 18日未明ソ連軍揚陸艇16隻、艦艇38隻、上陸部隊8363人、航空機78機による上陸作戦開始した投入されたのは第101狙撃師団(欠第302狙撃連隊)とペトロパヴロフスク海軍基地の全艦艇など、第128混成飛行師団などであった日本軍91師団は、このソ連軍に対して水際火力防御行い少なくともソ連軍艦艇13隻を沈没させる戦果上げている。 上陸成功したソ連軍部隊が、島北部の四嶺山付近で日本軍1個大隊激戦となった日本軍戦車11連隊などを出撃させて反撃行い戦車多数失いながらもソ連軍後退させた。しかし、ソ連軍再攻撃開始し激し戦闘続いた18日午後には、日本軍歩兵73旅団隷下の各大隊などの配置終え有利な態勢であったが、日本政府意向を受け第5方面軍司令官 樋口季一郎中将命令従い、第91師団16時戦闘行動停止命令発した停戦交渉の間も小競り合い続いたが、21日最終的な停戦実現し2324日にわたり日本軍武装解除なされたそれ以降ソ連軍25日松輪島31日得撫島という順に、守備隊の降伏受け入れながら各島順次占領していった。南千島占領別部隊により進められ8月29日択捉島9月1日4日国後島色丹島占領完了した歯舞群島占領は、降伏文書調印後の、3日から5日のことである。

※この「千島列島の状況と戦闘」の解説は、「ソ連対日参戦」の解説の一部です。
「千島列島の状況と戦闘」を含む「ソ連対日参戦」の記事については、「ソ連対日参戦」の概要を参照ください。

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