千島アイヌと道東アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:16 UTC 版)
列島には古くから主にアイヌなどが居住していたが、さらに列島内でも2つの集団に分かれていた。 北東側の占守島から新知(シムシル)島まではチュプカ諸島と呼ばれた千島アイヌが住む領域であり、一方で南西側の武魯頓(ブロトン)島より南側は道東アイヌが住む領域となっていた。中間地点であった得撫島において、千島アイヌと道東アイヌとの沈黙交易が行われていた。 この地域は大変長大で地域差が大きいことから、特に歴史については、本項でも便宜上、千島アイヌの領域と道東アイヌの領域とを以下のように区分して記述する。 千島アイヌの領域 - 占守郡(占守島から牟知列岩まで)、新知郡(雷公計島から新知島まで) 道東アイヌの領域 - 得撫郡、北方四島に含まれる択捉島、国後島
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