千島での報效義会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 千島での報效義会の意味・解説 

千島での報效義会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:55 UTC 版)

郡司成忠」の記事における「千島での報效義会」の解説

この一連の事件のため、一行それまで計画を完全に諦め軍艦磐城曳航されて、当初の予定では占守島着いているはずの6月5日函館入港した。ここで白瀬矗陸行組と合流すると、地元富豪平出喜三郎好意でその持船に便乗させてもらい、6月17日択捉島紗那到着ここから先への船便当てがなかったこともあり、郡司は一旦ここに報效義会本部設立することにした。7月3日には、郡司実父である幸田成延をはじめとした会員家族到着して道中での遭難死者脱会者を除いた報效義会メンバーがほぼ千島揃ったことになったが、あくまでも占守島目的であった郡司にとって択捉島での生活は本意ではなかった。そのような中、7月20日硫黄採掘のため捨子古丹島に向かうという泰洋丸という帆船紗那入港する郡司便乗依頼したところ、泰洋丸船主・馬場禎四郎返事は「捨子古丹島には硫黄採掘のため20日ほど滞在するからその間占守島まで送って良い、ただし全員乗せられないので15程度してほしい」というものであった。こうして、郡司自分白瀬横川勇次高橋五郎など18人の先遣隊選抜し、泰洋丸に乗り込んだ7月31日、泰洋丸は捨子古丹島到着する。しかし、ここで馬場は、占守島への回航拒否し帰還途中新知島に寄るのはどうかという代案出してきた。ここで馬場当初約束反故にした理由についてははっきりしていないが、採掘手一杯で泰洋丸を占守島回航させる人員確保できないことや、千島荒天気に入る時期であったため、占守島回航させる間に不慮の事故起きるなどして硫黄持ち帰れなくなることを恐れたではないか推測されている。便乗者である郡司としてはこれに抗議することもできず、また新知島のブロウトン湾の岩礁爆破して同湾を天然良港改造しようという計画建てていたこともあり、その提案呑んだまた、泰洋丸のメンバー硫黄採掘をしている最中郡司白瀬連れて島内一周探検実行しており、かつて千島アイヌ建てた家屋橋梁残っていることや、飲料水豊富なことを発見したこのため郡司脚気にさえ気をつければ捨子古丹島での越年可能だ判断し先遣隊18人のうち高橋五郎など9人を残留させることにした。まずは占守島全力開拓することを目的にしていた郡司にとってこれは苦渋の選択であった郡司はその著書千島国占守島探険誌』の中でこの選択について「実ニ忍ビザル所アリ」と記している)が、占守島に渡るめどが立たない状態では次善の策としてこれを取らざるを得なかったのである捨子古丹島残留メンバー別れた郡司白瀬横川残りの9人は泰洋丸に乗って新知島向かっていたが、その途中に偶然、八戸から函館まで郡司らを運んだ軍艦磐城再会する磐城測量のため占守島へ向かうところであり、郡司便乗させてもらうことを請願したところ、これを許可された。ただし、捨子古丹島残留した9人については、任務の関係上捨子古丹島への寄港が無理であり、回収できないとのことであったまた、この時磐城には正教会ニコライ・カサートキン弟子である和田平八という男が乗っていた。和田は、かつて占守島などに住んでいたが色丹島強制移住させられアイヌを再び北千島帰還させるという運動志しており(千島アイヌロシア人宣教師影響正教会信者多かった)、そのために単身幌筵島での越冬生活を行なおうとしていたのである。この話を聞いた郡司らは、単身での越冬危険だとして占守島での共同越冬薦めたが、和田決意固く幌筵島一人下船した。 そして8月31日郡司紆余曲折の末に占守島到着する。この時、特派員としての仕事完了した横川勇次と、母親大病患っており帰京希望していた島野という会員は島に残らず磐城と共に帰還することになったため、同島での越年部隊全部で7人となった

※この「千島での報效義会」の解説は、「郡司成忠」の解説の一部です。
「千島での報效義会」を含む「郡司成忠」の記事については、「郡司成忠」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「千島での報效義会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「千島での報效義会」の関連用語

千島での報效義会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



千島での報效義会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの郡司成忠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS