十勝丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
1946年(昭和21年)10月1日 - 起工(三菱重工横浜造船所) 1948年(昭和23年)3月15日 - 竣工 1948年(昭和23年)4月7日 - 就航9月17日 - アイオン台風による風水害で岩手県内の山田線が全線にわたり寸断され、復旧のめども立たず、宮古付近に数多くの機関車や貨車が取り残された。 11月9日 - 検査工事のため三菱重工横浜造船所への回航途中、宮古港で接岸試験施行。 1949年(昭和24年)2月14日23時 - 函館出航(第1次航海)2月15日12時20分 - 宮古港着、 2月16日0時45分〜0時50分 - 低潮時に仮設可動橋を用い貨車20両積込みに成功、20時-宮古港発 2月17日13時10分 - 青森着 2月18日14時55分 - 青森発(第2次航海) 2月19日6時30分 - 宮古港外着、18時 - 着岸 2月20日5時30分〜10時09分 - 機関車4両積込み、18時 - 宮古港発 2月21日10時30分 - 青森着 2月22日13時55分 - 青森発(第3次航海) 2月23日6時30分 - 宮古港外着、8時10分 - 着岸、10時〜10時25分 - 機関車4両積込み、20時55分 - 宮古港発 2月24日 - 青森着 2月26日14時55分 - 青森発(第4次航海) 2月27日7時25分 - 宮古港着、9時50分〜10時08分 - 貨車22両積込み、11時10分-港外錨泊、荒天のため出港見合わせ 3月2日5時 - 宮古港発、20時 - 青森着 3月4日14時 - 青森発(第5次航海) 3月5日7時 - 宮古港外着、10時45分〜10時53分-貨車13両積込み、16時-港外錨泊、 3月6日13時 - 宮古港発 3月7日5時30分 - 青森着 以上5回の航海で機関車8両、貨車55両を搬出した。 1950年(昭和25年)9月15日 - キジア台風来襲時、59便として4時10分函館有川第3岸壁着岸、東南東の風7mで波もなく貨車積卸し作業中、4時30分頃より15〜18mの突風が吹き始め、5時頃には南南西25m、突風33mとなり波も出てきたため船体動揺激しく、5時40分、貨車積み作業中止し2線分の貨車積載で急遽離岸、波高く港内外とも錨泊不能と判断し、以後約3時間防波堤外で踟蹰、船体ローリング34〜35度にも達したが、機関室への浸水はなくボイラー焚火も継続でき、8時33分港内へ戻り投錨した。 1951年(昭和26年)3月27日 - レーダー装備 1954年(昭和29年)9月26日 - 洞爺丸台風来襲の日、53便として青森を出航、有川桟橋強風により着岸不能のため、18時50分函館港防波堤外に錨泊し、船首を風に立てて船位維持に努めたが、19時20分頃から始まった激しい縦揺れによる車両甲板船尾開口部からの海水浸入が、やがてボイラー室、機械室へも流れ込み22時20分には主機停止し23時43分右舷へ転覆沈没した。11月10日 - 船体浮揚作業開始 1955年(昭和30年)9月20日 - 船体浮揚11月20日 - 修復工事着工(飯野重工舞鶴造船所) 1956年(昭和31年)8月21日 - 修復工事完工、車両甲板より上部を新造、舵を2枚舵とした 総トン数3048.4トン 車両積載数 ワム44両 1956年(昭和31年)8月31日 - 再就航 1958年(昭和33年)9月 - ストーカー装備(函館ドック) 1970年(昭和45年)3月31日 - 67便(青森第3岸壁定刻20時10分のところ20時26分発 函館第3岸壁定刻4月1日0時40分着のところ1時05分着)にて終航、これにより青函連絡船から蒸気タービン船は姿を消した。4月1日23時43分 - 室蘭港へ向け出航 4月2日8時25分 - 室蘭港着岸 係船。 8月28日 - 佐野安商事に売却 9月7日 - 室蘭港から大阪に向け曳航されて出航
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