第2次航海(1407年-1409年)
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「鄭和」の記事における「第2次航海(1407年-1409年)」の解説
永楽5年(1407年)9月に帰国後、38歳の鄭和にすぐに再出発の命令が出され、年末には第2次航海へと出発した。艦隊はまずシュリー・ヴィナーヤへ寄港し、インドラ・ヴァルマン6世の迎えを受けた。シュリー・ヴィナーヤでいったん艦隊を分割し、本隊はマジャパヒト(現在のスラバヤ)へ直行する一方、分隊がアユタヤを訪問したのち再集結し、コーリコードおよびコーチへ至った。帰路の途中の永楽7年2月1日(1409年2月15日)、セイロン島のガレに漢文・タミル語・ペルシア語の3カ国語で書かれた石碑を建てている。その後同じ経路を通り、永楽7年(1409年)夏に明に帰還している。
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