第2次第2掃海隊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第2次第2掃海隊の意味・解説 

第2次第2掃海隊 (石野隊; 鎮南浦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:16 UTC 版)

日本特別掃海隊」の記事における「第2次第2掃海隊 (石野隊; 鎮南浦)」の解説

第2掃海隊第2次)は10月25日新編成されて、11月3日15時下関唐戸出港した途中で上記のように群山活動していた第4掃海隊萩原隊)から残置されていた掃海艇4隻(MS10,122257)と合流し手続き上の編入2日)、7日1345分鎮南浦到着した当時同地ではギアリング級駆逐艦「フォレスト・ロイヤル」を旗艦として、アーチャー(Stephen M. Archer中佐指揮官とするTE95.69鎮南浦掃海任務隊が編成されており、石野隊はこれに編入されて、8日より掃海開始した同地では、元山能勢隊が提案したようにLCVPによる事前掃海導入されており、まず米海軍水中処分隊機雷捜索拘束し次いでLCVPによる略掃を行いその後日本の掃海艇により精密掃海実施するという手順進められた。 その後15日12時には第5掃海隊(大賀隊)が鎮南浦到着し17日付け石野隊に編入された。これにより、石野隊は、朝鮮水域における一番大きな掃海部隊となった。また同日には、試航船として泰昭丸が同地到着したが、この際野菜類日本人好み貯蔵品類を積んできており、特に野菜類現地米軍でも不足気味で補給受けられていなかったことから、生気取り戻すことができた。 20日には鎮南浦掃海完了発表された。協同して掃海作業行っていた連合軍掃海艇アーチャー中佐とともに安州へと転進していったが、同地は安全が確保できていなかったことから、石野隊のみが鎮南浦残されて、既掃海水道内の日施掃海行っていた。 26日石野隊は「カーミック」艦長指揮下に入ることになった28日、旧第5掃海隊(大賀隊)は石野隊から分離され第4掃海隊第2次)として改編されることになり、30日12時鎮南浦出港し海州に向っていった。また30日には、試航終えた泰昭丸が佐世保帰投ていったほか、石野隊は「トンプソン艦長指揮下に入ることになった当時陸上では中国人民志願軍介入によって国連軍後退強いられており、鎮南浦危険になってきていたことから、12月2日アーチャー中佐より、石野隊は日本本土引き上げるように指示があり、同日15時30分、鎮南浦出港した。翌3日には平壌から国連軍撤退しており、際どいタイミングでの帰還であった4日には、アーチャー中佐より、帰国に際して大賀隊と合流するように指示があったものの、荒天のために果たせず、7日午前11時、下関帰投した。

※この「第2次第2掃海隊 (石野隊; 鎮南浦)」の解説は、「日本特別掃海隊」の解説の一部です。
「第2次第2掃海隊 (石野隊; 鎮南浦)」を含む「日本特別掃海隊」の記事については、「日本特別掃海隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第2次第2掃海隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第2次第2掃海隊」の関連用語

第2次第2掃海隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第2次第2掃海隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本特別掃海隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS