第4掃海隊とは? わかりやすく解説

第4掃海隊 (萩原隊; 群山)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:16 UTC 版)

日本特別掃海隊」の記事における「第4掃海隊 (萩原隊; 群山)」の解説

第4掃海隊は、下関集合したのち、まず佐世保移動して同地米海軍掃海部隊指揮官から群山掃海指示する命令書を受領して10月17日群山向けて出港した同日西風強く朝鮮海峡渡れなかったため五島列島北端仮泊し、翌18日群山向けて出港した19日早朝群山到着し満潮待って午前11時に入港した。同隊は、TE95.7 韓国海軍任務隊(米指揮官)に編入され韓国海軍掃海艇YMS-513艇長指揮受けて掃海を行うことになった。このとき、韓国海軍掃海艇艇長は「実は私は掃海のことは何も知らないあなたに一切任せる。ただし韓国司令部には、私の命令でやったことに報告させてくれ」と告白し萩原指揮官快く功績を韓艇長譲った。ただし掃海作業報告では「同じ海域対し違った作戦命令佐世保第3掃海隊司令部韓国船YMS-513、英海軍フリゲート「モーコンベイ」及び日本総指揮官から出され、我々はどの命令をとるべきか判断迷わされた」、「全作業を我々に任されたら、我々自身ペースでもっと容易に掃海作業実施できたと思われる」と述べられており、指揮系統混乱と、実際に日本側に必ずしも自主性付与されていなかったことが伺える。 萩原隊は、群山港に至る航路対し、係維機雷及び磁気機雷掃海行った途中10月27日にはMS30が座礁沈没するという事件があった。 この間英海軍フリゲート艦長が来訪して「マッカーサー司令部命令だ、鎮南浦掃海にあたれ」と申し入れたのに対し萩原指揮官持っていた米軍指揮官命令見せ田村総指揮官の命令なければ動かぬ」と断り、英艦長は「月給三倍払うから行ってくれ」といったが、萩原指揮官は「私は国のため働いているので、金をかせぎにきたのではない」と突っぱねたという挿話があった。 その後11月4日には群山での任務終了したが、萩原指揮官機関不調の2隻のみを連れて帰国することになり、ほか4隻(MS10,122257)は第2次第2掃海隊石野隊)に編入されて、鎮南浦移動して同地掃海を行うことになった萩原指揮官その旨英海軍フリゲート艦長に伝えたところ、英艦長謝意伝えとともに部下機関科士官派遣して機関修理してくれた。

※この「第4掃海隊 (萩原隊; 群山)」の解説は、「日本特別掃海隊」の解説の一部です。
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