第4掃海隊 (萩原隊; 群山)
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「日本特別掃海隊」の記事における「第4掃海隊 (萩原隊; 群山)」の解説
第4掃海隊は、下関に集合したのち、まず佐世保に移動して、同地の米海軍掃海部隊指揮官から群山の掃海を指示する命令書を受領して、10月17日、群山に向けて出港した。同日は西風が強く朝鮮海峡を渡れなかったため五島列島の北端に仮泊し、翌18日に群山に向けて出港した。 19日早朝に群山に到着し、満潮を待って、午前11時に入港した。同隊は、TE95.7 韓国海軍任務隊(米指揮官)に編入され、韓国海軍の掃海艇YMS-513艇長の指揮を受けて掃海を行うことになった。このとき、韓国海軍の掃海艇艇長は「実は私は掃海のことは何も知らない。あなたに一切任せる。ただし韓国司令部には、私の命令でやったことに報告させてくれ」と告白し、萩原指揮官は快く功績を韓艇長に譲った。ただし掃海作業報告では「同じ海域に対し、違った作戦命令が佐世保の第3掃海隊司令部、韓国船YMS-513、英海軍フリゲート「モーコンベイ」及び日本の総指揮官から出され、我々はどの命令をとるべきか判断に迷わされた」、「全作業を我々に任されたら、我々自身のペースでもっと容易に掃海作業を実施できたと思われる」と述べられており、指揮系統の混乱と、実際には日本側に必ずしも自主性が付与されていなかったことが伺える。 萩原隊は、群山港に至る航路に対し、係維機雷及び磁気機雷の掃海を行った。途中、10月27日にはMS30が座礁沈没するという事件があった。 この間、英海軍フリゲート艦長が来訪して「マッカーサー司令部の命令だ、鎮南浦の掃海にあたれ」と申し入れたのに対し、萩原指揮官は持っていた米軍指揮官の命令を見せ「田村総指揮官の命令がなければ動かぬ」と断り、英艦長は「月給を三倍払うから行ってくれ」といったが、萩原指揮官は「私は国のため働いているので、金をかせぎにきたのではない」と突っぱねたという挿話があった。 その後、11月4日には群山での任務は終了したが、萩原指揮官は機関不調の2隻のみを連れて帰国することになり、ほか4隻(MS10,12,22,57)は第2次第2掃海隊(石野隊)に編入されて、鎮南浦に移動して同地の掃海を行うことになった。萩原指揮官がその旨を英海軍フリゲート艦長に伝えたところ、英艦長は謝意を伝えるとともに、部下の機関科士官を派遣して機関を修理してくれた。
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