第3掃海隊 (石飛隊; 元山)
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「日本特別掃海隊」の記事における「第3掃海隊 (石飛隊; 元山)」の解説
第3掃海隊は、10月17日未明0時30分、アメリカ海軍アレン・M・サムナー級駆逐艦「ウォレス・L・リンド」の嚮導のもとで下関を出港したが、荒天のため反転し、また舵が故障した艇も出た。その後、同日18時に再出港し、元山に向かった。途中、先発した第2掃海隊(能勢隊)が帰国しつつあることを知らされ、また洋上でこれとすれ違った。 20日午前9時、同隊は元山に到着し、田村総指揮官が座乗する「ゆうちどり」と合流した。また能勢隊で元山に残留していたPS02・04・08を合わせて指揮することになった。上記のように新たに磁気機雷の脅威が出現していたことから、まず21日から11月3日にかけて、5式掃海具を用いて元山港内外の磁気掃海を実施した。またアメリカ軍が200トン型曳船を応急試航船に改造したことから、掃海艇がこれを曳航して、10月31日から11月1日まで試航を行った。これに続いて、11月7日から26日まで、対艦式大掃海具3型を用いて、麗島東北掃海水路の確認日施掃海を行った。これらの掃海により、計5個の機雷を拘束し、PS でいずれも銃撃処分した。なお掃海した区域は磁気掃海で泊地 24平方キロ、航路 36.4平方キロ、係維機雷掃海で泊地 67.35平方キロ、航路2.75平方キロであった。 なおこの間、PS43が同隊に編入されており、同艇は11月4日に下関を出発して12日に元山に到着した。一方、能勢隊から編入されたPS02・04・08は11月13日に元山を出発し、15日に下関に到着した。 その後、石飛隊は第2次第1掃海隊(花田隊)と交代して、11月26日12時に元山を出発し、28日午前10時30分に下関に帰投した。ただしMS24・19・09は花田隊に編入されることになり、元山に残留した。
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