第3支隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 19:35 UTC 版)
詳細は「第5師団 (朝鮮人民軍)#前史」を参照 軍人大会後、朱徳海は約19名の軍政学校の幹部候補生を引率してハルビン市に向かった。北満に派遣された幹部が少人数であった理由は、朝鮮と隣接する南満と東満に主力を重点的に配置した事と、1942年から李相朝(金澤明)が地下工作員として潜入し、朝鮮独立同盟北満特別委員会(第12支部)が組織されて受け皿が出来ていたからであった。 1945年11月19日に李相朝が組織した保安総隊朝鮮人独立大隊と合流した。中ソ友好同盟条約により翌20日に賓県へ退去し、11月25日に第3支隊が結成された。支隊長は李相朝、政治委員は朱徳海、副支隊長は金昌徳(李徳山)、参謀長は金延、政治部主任は李根山が就任した。その後は木蘭、通河、東興で土匪を掃討した。 1946年4月28日にソ連軍がハルビン市から撤退すると、第3支隊は松江軍区の東北民主連軍と合流し、ハルビン市に突入して国民党軍とその官吏を駆逐した。ハルビン市には中共東北局や東北民主連軍総司令部などが置かれ、東北部における共産党の心臓部となった。第3支隊は軍区内で最も信頼された部隊であり、ハルビン市の衛戍任務を担当し、重要な役割を果たした。1946年6月に東北民主連軍に編入され、松江軍区独立第8団に改編された。同時に李相朝、金延、李根山などが帰国。 1948年3月にハルビン市を離れて吉林省煙筒山一帯に進出し、吉東軍区第72団と牡丹江軍区独立第14団と合流して東北野戦軍独立第11師を編成し、独立第8団は独立第11師第2団に改編された。師長は王效明、政治委員は宋景華(中国語版)、副師長は李徳山、参謀長は康干生、政治部主任は王海清が就任した。長春包囲戦に参加。1949年3月、第164師第491団に改称し、長春の衛戍任務を担当した。
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