第7支隊
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1945年11月21日、第5支隊が吉林市に到達した際に朴勲一等の一部の幹部が残り、吉林保安総隊第7大隊を基幹に編成された。支隊長兼政治委員は朴勲一、副支隊長兼副政治委員は崔明、参謀長は金克、副参謀長はチェ・チュンリョルが就任した。1945年12月に樺甸市に進駐して1946年3月に樺甸県保安団(団長楊上堃)に改編された。1946年4月中旬、朴勲一を含む幹部50余人が北朝鮮に帰還。後に拡大され吉南軍分区第24旅第72団。1946年5月、吉南軍分区から引き抜かれ四平保衛戦の第2梯隊となる。四平から撤退後は五常市に進駐して再編成した。1946年6月に第24旅は吉南地区に移動して根拠地を開拓した。1948年4月に独立第8団(第3支隊を改編した部隊)と牡丹江軍区第14団で独立第11師を編成し、第72団は独立第11師第1団に改編した。1949年3月、第164師第492団に改称。
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