第5支隊
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第5支隊は1945年11月に瀋陽で創設された。11月8日に文正一が率いる先遣隊が吉林市に到着するがソ連軍がそれ以上の東進を同意しないため付近の地区に駐在した。12月8日に先遣隊の幹部30名が、12月31日に支隊主力の約400人が延吉に到達した。1946年1月延辺警備旅の第1団と第2団を合併して約6千人の兵力となり、朝鮮義勇軍第15団と第16団を編成した。延辺で土匪を粛清し、東満の根拠地を建設した。 朝鮮義勇軍第15団は1946年3月に吉東警備第2旅に編入され、後に吉林軍区独立第3団に改称される。1948年1月、吉林軍区独立第6師(師長:鄧克明(中国語版)、副師長:全宇)が編成されると独立第3団は第16団に改称され、独立第6師に編入される。独立第6師は長春包囲戦から四平、錦州の攻略に参加し、中国関内への南進を前にして正規軍に昇格して第4野戦軍第43軍第156師となり、隷下の第16団は第466団になる。第156師は平津戦役に参加。揚子江渡河作戦では営長以下の300名を捕虜とし、300隻の船舶を奪取して渡河作戦の突破口を開いた。さらに南進して1949年3月4日に江西省南昌市に入城して江西省の衛戍任務に就いた。 朝鮮義勇軍第16団は1946年3月に吉東警備第1旅第1団に改称される。1947年2月に吉林軍区の警備部隊と合流して独立第1師第1団となる。1947年9月に独立第1師は第10縦隊に編入され第30師第89団となる。中国関内への南進を前にして第10縦隊は第47軍と改称し、第30師第89団は第141師第422団となった。第141師は平津戦役に参加し、太原から重慶までを転戦した。 第1支隊と第3支隊をそれぞれ母体とする第166師及び第164師は朝鮮族部隊としてまとまっていたが、第156師と第141師は漢族と朝鮮族の混成部隊である。
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