第5支隊とは? わかりやすく解説

第5支隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 19:35 UTC 版)

朝鮮義勇軍」の記事における「第5支隊」の解説

第5支隊は1945年11月瀋陽創設された。11月8日文正一率い先遣隊吉林市到着するソ連軍それ以上東進同意しないため付近地区駐在した12月8日先遣隊幹部30名が、12月31日支隊主力の約400人が延吉到達した1946年1月延辺警備旅の第1団と第2団を合併して約6千人兵力となり、朝鮮義勇軍15団と第16団を編成した延辺土匪粛清し、東満の根拠地建設した朝鮮義勇軍15団は1946年3月に吉東警備第2旅に編入され、後に吉林軍区独立第3団に改称される1948年1月吉林軍区独立第6師(師長:鄧克明中国語版)、副師長全宇)が編成される独立第3団は第16団に改称され独立第6師に編入される独立第6師は長春包囲戦から四平錦州攻略参加し中国関内への南進前にして正規軍昇格して第4野戦軍43軍第156師となり、隷下の第16団は第466団になる。第156師は平津戦役参加揚子江渡河作戦では営長以下の300名を捕虜とし、300隻の船舶奪取して渡河作戦突破口開いた。さらに南進して1949年3月4日江西省南昌市入城し江西省衛戍任務就いた朝鮮義勇軍16団は1946年3月に吉東警備第1旅第1団に改称される1947年2月吉林軍区警備部隊合流して独立第1師第1団となる。1947年9月独立第1師は第10縦隊編入され30師第89団となる。中国関内への南進前にして第10縦隊は第47軍と改称し、第30師第89団は第141師第422となった。第141師は平津戦役参加し太原から重慶までを転戦した第1支隊第3支隊それぞれ母体とする第166師及び第164師は朝鮮族部隊としてまとまっていたが、第156師と第141師は漢族朝鮮族混成部隊である。

※この「第5支隊」の解説は、「朝鮮義勇軍」の解説の一部です。
「第5支隊」を含む「朝鮮義勇軍」の記事については、「朝鮮義勇軍」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第5支隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第5支隊」の関連用語

第5支隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第5支隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの朝鮮義勇軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS