勤王党弾圧とは? わかりやすく解説

勤王党弾圧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:42 UTC 版)

中岡慎太郎」の記事における「勤王党弾圧」の解説

文久2年1862年12月土佐勤王党間崎哲馬平井収二郎弘瀬健太が、青蓮院宮親王令旨奉じ土佐藩政改革企てる青蓮院宮令旨事件)。江戸でこの事件知った山内容堂激怒し間崎らを国許送還し幽閉した。 文久3年(1863年)4月土佐帰国した容堂は、攘夷派弾圧開始する。まず、乾(板垣退助平井善之丞小南五郎右衛門小笠原唯八ら、他藩士交際し攘夷論唱える上士たちを免職し6月には先の青蓮院宮令旨事件首謀者3名を切腹処した京都八月十八日の政変が起こると、弾圧はさらに激化し武市瑞山島村衛吉久松喜代馬ら土佐勤王党主立つ面々投獄された。慎太郎も捕縛対象含まれていたが、同志足立行蔵から危機知らされ脱藩し辛くも窮地脱した

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勤王党弾圧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:56 UTC 版)

武市瑞山」の記事における「勤王党弾圧」の解説

勅使護衛の任に当たっていた半平太の留守中に京都で他藩応接役を務めていた平井収二郎間崎哲馬弘瀬健太とともに青蓮院宮から令旨賜り、これを国元にいる先々代藩主山内豊資藩主・豊範の実父)に働きかけ藩政改革断行しようと動いていた。この頃、容堂は土佐勤王党台頭露骨に不快感示し始めており、半平太を除く勤王党志士対し、他藩士との政事交際禁じ通達出した文久3年1863年1月25日入京した容堂は、青蓮院宮から平井間崎らの動き知らされ僭越沙汰である」と激怒して両名罵倒して罷免した上で土佐へ送還させた。 容堂は3月土佐へ帰国する直ち吉田東洋暗殺下手人捜索命じ土佐勤王党同情的な大監察小南五郎右衛門国老深尾鼎解任し、大監察平井善之丞辞職余儀なくされた。この頃半平太はかねてより不和生じていた薩摩長州融和腐心していたが、土佐勤王党をとりまく情勢険悪化する中、4月半平太は薩長和解調停案の決裁を容堂に仰ぐために帰国する事となった。久坂玄瑞は危険であるとこれを止め帰国せずに脱藩し長州亡命するよう勧めるが、半平太は亡命拒否し同志たちに諌死決心を以て一藩勤王素志貫徹すべきである告げて帰国した平井収二郎間崎哲馬弘瀬健太入牢させられ厳しく尋問された。帰国した半平太は三名助命を容堂に嘆願するが、6月7日死罪決定し、翌8日三人切腹した。半平太は尚も望み捨てずに容堂に謁見して藩政改革意見書提出するとともに国事論じた。容堂は半平太を罰しない意見容れることもなかった。 8月18日会津藩薩摩藩による政変長州藩中央政界失脚する同時に事態一転し勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派主導権を握る同時期に大和国吉村虎太郎那須信吾土佐脱藩浪士らを中心とする天誅組挙兵するが、翌月には壊滅して吉村らは討ち死にしている(天誅組の変)。 尊攘派情勢急激に悪化する中、9月21日に「京師沙汰により」の名目半平太ら土佐勤王党幹部対す逮捕命令出され半平太は城下帯屋町の南会所(藩の政庁)に投獄された。獄吏半平太の人物傾倒したために彼らに便宜図ってもらえたとされ、獄吏らを通じて家族在獄中の同志秘密文書をのやり取りも可能となった。これにより、長期にわたる獄中闘争の中で同志団結維持し続けと共に軽挙妄動戒めた取調べの際、上士である半平太は結審に至るまで拷問される事はなかったものの、軽格の同志たちは厳しく拷問された。半平太らはまだ捕らえられていない獄外同志その他の協力者への連累食い止めるべく吉田東洋暗殺事件初めとした被疑事実否認し続け長い獄中闘争を耐えた。だが、京都残留していた岡田以蔵元治元年1864年4月捕縛され土佐送還され監察府拷問に耐えかねて、京や大坂での天誅事件への関与その実行者の名を次々と自白したことで事態悪化し新たな逮捕者相次ぐこととなる。

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