勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画とは? わかりやすく解説

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勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)

鳥羽・伏見の戦い」の記事における「勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画」の解説

土佐藩徳川恩顧の藩である」と主張し徹底佐幕を貫く小八木政躬や寺村左膳らの策謀により、全役職解任され失脚した退助は、西郷隆盛との約束通り京都合戦始まれば薩土討幕の密約に基づき国許勤皇派同志(旧土勤王党)数百と共に脱藩し上京し武力討幕の軍に加わるため、脱藩決意書を準備し火蓋切られるのを待った。以下はその全文此度私共御下知に先だち、皇京(みやこ)の急難に趨(おもむ)き、御国(おくに)の為、死力盡し候儀、聊(いささか)も軽挙に相当らず可きと申すやに候得ども、根元殿様宇内(うだい)の形勢、御洞察あそばされ先年ならび已來尊攘大義、時々御告諭おおせつけられを以て義勇の御誠意、私供の心魂に相徹し、自然(じねん)一箇敵愾の気と相成り候上は、今日に当り未だ出陣おおせつけられず候得ども、従来御本意に相基づき眼前変動今更とどまり難たく、やむをえず暫時御暇願いたてまつり候。抑(そもそ)も今日(こんにち)に至り幕府大罪枚挙にいとまあらず候儀に相したため候。就いては、それの年 勅命初め幕府下り候みぎり、奉(ほう)違(い)の二途拠り、御去就お定め召しあそばされあらせられ候以来追々世運従い動静種々あらせられ候得ども、勤王の御誠意前後とも御一貫にあらせられ候を以て御国(おくに)の御令聞、御美名赫々(かくかく)として親父母の如く仰望たてまつり、隨て御臣下者共感喜踊躍(ようやく)相競い罷りあり候ところ、今日(こんにち)に至り候ても御実行の相顕わ申さずを以て、漸(ようやく)く有名無実の御虚飾と相唱え候者もこれあり哉(や)に承知致し候。然(しか)るに当今幕府の逆炎、益々募り外夷に諂(へつら)い、微弱朝廷凌侮(りようぶ)し、元悪大憝、苟(いやし)くも 皇国(すめらみくに)の恩(みたまのふゆ)を知る者、扼腕切歯不堪(たへざる)場合薩州侯と仰せ合せられ御上の上皇国(すめらみくに)の御基本に御立返りあそばされ候に付、必死の分を相盡し候様、以下まで拝承おおせつけられ、実を以て一同踊躍(ようやく)まかりあり候ところ、不計(はからずも)御病症の御発動あらせられ、やむを得ず御帰国あそばされ候に付、彼藩(かのはん)に於て一同落膽(らくたん)仕(つかまつ)り候趣。剰(あまつさ)へ御側姦吏所爲にも候哉(や)。薩侯、御内談の事ども、会藩へ漏れ事件もこれあり候趣(おもむき)を以て、彼藩の者ども御国(おくに、土佐藩のこと)を指し反覆と相唱へ候趣)、内々相聞へ候。然(しか)るに後藤象二郎 大政奉還の儀を相唱へ、彼藩(かのはん)と盟約(めいやく)の趣(おもむき)を以て、尚(なほ)又(また) 思召(おぼしめ)し伺(うかが)いたてまつり候処、御別慮なされず、再び御懸合(かけあわせ)に相成り候趣に候得ども、「有文事者必有武備」の定理(ぢやうり)をも相辨(わきま)へず、口舌(くぜつ)を主張し、一兵をも率いず、且(かつ)前議齟齬(そご)の筋もこれありを以て、彼藩疑念相蓄(あいたくわえ)、差迫(さしせまり)候密事も相謀(はかり)申さず進退(しんたい)維(これ)に至り候趣、勿論(もちろん)象二郎に於ては頓着これなきに候得ども、堂々たる大国互いに大事を謀(はか)り、有始無終の謗(そしり)を受け候様に相成り候ては、祖宗千載の御瑕瑾(きづ)に相成り、 両殿様御意(ぎょい)外の御恥辱と存入(ぞんじいり)、私供、死生顧みず、乍恐(おそれながら)是迄(これまで)の御志(おこころざし)を継ぎ違 勅幕臣払い一度(ひとたび) 今上(きんじょう)之御宸襟(しんきん)を奉安(ほうあん)候功業を以て、 両殿様御恩澤(おんたく)のに一を報じたてまつりたく、又、志を貫き申さざる節は、一切悪名(あくみょう)私供が甘受つかまつり御国(おくに)後来御迷惑決し相懸申さず赤心(せきしん)存じ入り候処、神明(しんめい)に誓い聊(いささ)か虚辞これ無き候に付、千万(せんばん)格別(かくべつ)の御仁恕(じんじょ)を以て、右件之通り暫時御暇一同願いたてまつり候。 — 乾退助 この乾退助による、勤皇派藩士集団脱藩計画は、実行寸前のところで、鳥羽伏見合戦始まった為、最終的に土佐藩自体退助失脚解いて盟主奉りあげ、正規軍隊として迅衝隊組織し出陣することになった。なおこの時、小笠原唯八薩土討幕の密約に基づき同様に脱藩趣意書したためている。

※この「勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画」の解説は、「鳥羽・伏見の戦い」の解説の一部です。
「勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画」を含む「鳥羽・伏見の戦い」の記事については、「鳥羽・伏見の戦い」の概要を参照ください。

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