勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画
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「鳥羽・伏見の戦い」の記事における「勤皇派藩士集団脱藩挙兵計画」の解説
「土佐藩は徳川恩顧の藩である」と主張し、徹底佐幕を貫く小八木政躬や寺村左膳らの策謀により、全役職を解任されて失脚した退助は、西郷隆盛との約束の通り京都で合戦が始まれば、薩土討幕の密約に基づき国許の勤皇派同志(旧土佐勤王党)数百名と共に脱藩して上京し、武力討幕の軍に加わるため、脱藩決意書を準備し火蓋が切られるのを待った。以下はその全文。 此度、私共御下知に先だち、皇京(みやこ)の急難に趨(おもむ)き、御国(おくに)の為、死力を盡し候儀、聊(いささか)も軽挙に相当らず可きと申すやに候得ども、根元 両殿様、宇内(うだい)の形勢、御洞察あそばされ、先年ならび已來、尊攘の大義、時々御告諭おおせつけられ候を以て、義勇の御誠意、私供の心魂に相徹し、自然(じねん)一箇敵愾の気と相成り候上は、今日に当り未だ出陣おおせつけられず候得ども、従来の御本意に相基づき、眼前の変動は今更とどまり難たく、やむをえず、暫時の御暇を願いたてまつり候。抑(そもそ)も今日(こんにち)に至り、幕府の大罪は枚挙にいとまあらず候儀に相したため候。就いては、それの年 勅命、初めて幕府に下り候みぎり、奉(ほう)違(い)の二途に拠り、御去就をお定め思召しあそばされあらせられ候以来、追々世運に従い御動静も種々あらせられ候得ども、勤王の御誠意は前後とも御一貫にあらせられ候を以て、御国(おくに)の御令聞、御美名赫々(かくかく)として親父母の如く仰望たてまつり、隨て御臣下の者共感喜踊躍(ようやく)相競い罷りあり候ところ、今日(こんにち)に至り候ても御実行の相顕われ申さず候を以て、漸(ようやく)く有名無実の御虚飾と相唱え候者もこれあり哉(や)に承知致し候。然(しか)るに当今、幕府の逆炎、益々相募り、外夷に諂(へつら)い、微弱の 朝廷を凌侮(りようぶ)し、元悪大憝、苟(いやし)くも 皇国(すめらみくに)の恩(みたまのふゆ)を知る者、扼腕切歯に不堪(たへざる)場合、薩州侯と仰せ合せられ御上京の上、 皇国(すめらみくに)の御基本に御立返りあそばされ候に付、必死の分を相盡し候様、以下まで拝承おおせつけられ、実を以て一同踊躍(ようやく)まかりあり候ところ、不計(はからずも)御病症の御発動あらせられ、やむを得ず御帰国あそばされ候に付、彼藩(かのはん)に於ても一同落膽(らくたん)仕(つかまつ)り候趣。剰(あまつさ)へ御側の姦吏の所爲にも候哉(や)。薩侯、御内談の事ども、会藩へ漏れ候事件もこれあり候趣(おもむき)を以て、彼藩の者ども御国(おくに、土佐藩のこと)を指し、反覆と相唱へ候趣)、内々相聞へ候。然(しか)るに後藤象二郎 大政奉還の儀を相唱へ、彼藩(かのはん)と盟約(めいやく)の趣(おもむき)を以て、尚(なほ)又(また) 思召(おぼしめ)し伺(うかが)いたてまつり候処、御別慮なされず、再び御懸合(かけあわせ)に相成り候趣に候得ども、「有文事者必有武備」の定理(ぢやうり)をも相辨(わきま)へず、口舌(くぜつ)を主張し、一兵をも率いず、且(かつ)前議と齟齬(そご)の筋もこれありを以て、彼藩疑念相蓄(あいたくわえ)、差迫(さしせまり)候密事も相謀(はかり)申さず、進退(しんたい)維(これ)に至り候趣、勿論(もちろん)象二郎に於ては頓着これなきに候得ども、堂々たる大国、互いに大事を謀(はか)り、有始無終の謗(そしり)を受け候様に相成り候ては、祖宗千載の御瑕瑾(きづ)に相成り、 両殿様の御意(ぎょい)外の御恥辱と存入(ぞんじいり)、私供、死生を顧みず、乍恐(おそれながら)是迄(これまで)の御志(おこころざし)を継ぎ、違 勅の幕臣を払い、一度(ひとたび) 今上(きんじょう)之御宸襟(しんきん)を奉安(ほうあん)候功業を以て、 両殿様、御恩澤(おんたく)の萬に一を報じたてまつりたく、又、志を貫き申さざる節は、一切の悪名(あくみょう)私供が甘受つかまつり、御国(おくに)後来の御迷惑は決して相懸け申さず、赤心(せきしん)存じ入り候処、神明(しんめい)に誓い聊(いささ)か虚辞これ無き候に付、千万(せんばん)格別(かくべつ)の御仁恕(じんじょ)を以て、右件之通り、暫時之御暇、一同願いたてまつり候。 — 乾退助 この乾退助による、勤皇派藩士集団脱藩計画は、実行寸前のところで、鳥羽伏見の合戦が始まった為、最終的には土佐藩自体が退助の失脚を解いて盟主に奉りあげ、正規の軍隊として迅衝隊を組織し出陣することになった。なおこの時、小笠原唯八も薩土討幕の密約に基づき同様に脱藩趣意書をしたためている。
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