劇中で使用されている映像について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 18:33 UTC 版)
「ザ・バトル・オブ・チャイナ」の記事における「劇中で使用されている映像について」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 撃たれているのは中国の犯人(正体不明)であり、撃っているのは蔣介石中国警察である 1937年の上海南駅爆撃直後の有名な「Chinese Baby 《中國娃娃》」の写真。『ザ・バトル・オブ・チャイナ』のもととなる上海の爆撃現場を撮影中に映画とともにスチルカメラで撮影された写真であった。なお、この写真はLIFE雑誌に掲載された「中國娃娃」そのものではなく、Movieカメラの撮影画像のうちで最も近いシーンの一コマであり、撮影角度が中國娃娃とは若干異なる。 『ザ・バトル・オブ・チャイナ』の24分07秒から24分10秒までにある赤ん坊を座らせたシーン。中央の写真は『日寇暴行実録』にて「遭難後の父子」とされたもの。(←このようには書かれていません。) 映画の最後の説明で使用されている映像は、中国から提供されたもの、アメリカとイギリスの軍写真部門が提供したもの、宣教師が提供したもの、捕獲した日本のフィルムであり、戦闘に関係のないシーンは歴史的なフィルムも使用したとしている。 南京陥落当時、南京に滞在していて、南京安全区国際委員会のメンバーだったアメリカの宣教師ジョン・マギーは、16ミリ映写機アイモで南京病院(金陵病院)などで治療を受ける被害者を撮影した映像などを記録し、上海のコダックで現像したとされる。その後、この映像を同じく南京安全区国際委員会のジョージ・フィッチが中国の外に持ち出し日本のYMCAや米国などにおいて講演旅行を行った。この映画の中では、ジョン・マギーの映像が南京大虐殺に関する場面として多数使用されている。それは、日本人に生きたまま焼かれて恐ろしいほどに焦げて変形した男、頭部に激しい銃剣の刺し傷を追ったホーロー器具店の店員(入院後六日経った後でも、脳の脈動を鮮明に見ることができたというもの)、日本兵に輪姦され首を斬り落されかけた被害者、とされる映像である。宣教師が提供したフィルムとは、このフィルムを指すとされる。 後ろ手を縛られて座らされる市民の後頭部を、次々と撃ち抜いて射殺する場面は、この映画における最も有名な虐殺のシーンであるが、これは、ヤコフ・モイセエヴィチ・ブリオフ監督による1928年製作の『上海ドキュメント』というソ連映画の一部であり、1927年の蔣介石による共産党弾圧を糾弾する映像である[要検証 – ノート]。これが本作では中国警察とは分からないように映像の一部分がカットされ、トリミングされた上で、日本軍による虐殺シーンとして使われている[要検証 – ノート]。 廃墟と化した駅のホーム上で、幼児が、一人泣いている有名な写真(『LIFE』1937年10月4日号誌上に掲載され全米で大きな反響を呼んだもの)も、この映画の一部として使用されている。映画には、写真が撮影された前後の状況も含まれていて、黒い中国服を着た人物が、線路を渡って幼児を救出してホームに一時座らせるまでと幼児を担架状のもので搬出するシーンが映っている。この写真について東中野修道は著書の中で「あらゆるところで南京事件の写真として流用されており、プロパガンダ写真を作っている最中のものである」と主張している。また、『LIFE』誌ではこの幼児が上海南駅爆撃の民間人犠牲者のうちの1人であるとして、初出の掲載から撮影地が上海であることを説明しているが、戦後は撮影場所が上海南駅であることが忘れ去られ、南京事件の写真として使用されてきたと主張している。この映像の撮影者が王小亭であることが、東中野の検証により発表されている。松尾一郎は『正論』において撮影者がH・S・ウォンで無い可能性が高い事を論じている。[要出典]
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