主な参加バンド・ユニット等
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「忌野清志郎」の記事における「主な参加バンド・ユニット等」の解説
RCサクセション (1968年 - 1991年) 忌野清志郎+坂本龍一 (1982年)イエロー・マジック・オーケストラの坂本龍一とのコラボレーション。シングル『い・け・な・いルージュマジック』 DANGER (1984年-1985年、1994年、2003年、2004年)梅津和時のどくとる梅津バンドとの共演作2枚目の時に使用したユニット名。共演作1枚目のアルバム『DANGER』から名付けられた。ライブ・エイドの日本放送版にも出演する一方で、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に楽曲提供をするという両極端の活動を行った。1994年、アケタの店20周年記念イベントで一夜限りの再結成。2003年・2004年に梅津のイベントで突然復活した。 清志郎(ボーカル)、梅津和時(アルトサックス)、片山広明(テナーサックス)、早川岳晴(ベース)、菊池隆(ドラム) ローリング・ミストーンズ・レビュー (1985年)清志郎のプロデュースイベント「真夜中の雰囲気一発」(新宿シアターアップル)の際に結成した企画バンド。ローリング・ストーンズと、ボブ・ディランの「ローリング・サンダー・レヴュー」を混ぜたもの。泉谷と組んだ初のユニット。 清志郎・泉谷しげる(ボーカル・ギター)、石田長生(ギター)、早川岳晴(ベース)、菊池隆(ドラム) 忌野清志郎 & The Razor Sharps (1987年)ロンドン録音のアルバム『RAZOR SHARPS』製作時のメンバー(イアン・デューリーのバンド「ブロックヘッズ」等)の一部を携えてのソロツアーを行った際のバンド。ツアーの一部はライブアルバム・ライブビデオに収録された。 清志郎(ボーカル)、ジョニー・ターンブル(ギター)、マーク・ベッドフォード(ベース)、チャーリー・チャールズ(ドラム)、ミッキー・ギャラガー(キーボード)、デヴィット・ペイン(サックス)、ジェフ・ミラー(トランペット) THE TIMERS (1988年 - 1995年)誰もが正体を分かりきっている覆面バンド。最初の活動以降、清志郎曰く「結局何も変わらなかった」「怒りでなにかを歌ってもむなしいだけ」と失望して活動を休止していたらしいが、1994年に再結成。一部の楽曲はのちに清志郎の持ち歌になった。 清志郎によく似たZERRY(ボーカル、ギター)、三宅伸治によく似たTOPPI(ギター)、川上剛によく似たBOBBY(ベース)、杉山章二丸によく似たPAH(ドラム) サディスティック・ミカ・バンド(1989年)桐島かれんをボーカルに招き再結成して生まれたアルバム『天晴』の2曲目「脳にファイアー!Brain's On Fire」にバックコーラスとして参加。 SMI (1990年)所属レコード会社東芝EMIのイベント「ロックが生まれた日」(1990年4月28日・30日)のために結成したユニット。ユニット名はEMIのもじりで、メンバーのイニシャルを並べたもの。実際のイベント時には小林和生(ベース)、ケニー・モズレー(パーカッション)がサポートに回った。パープル・ヘイズ音頭は元々このユニットの曲。 清志郎(ボーカル、ギター)、坂本冬美(ボーカル)、三宅伸治(ギター) HIS(1990年 - 1991年)前述のSMIを受けて結成したユニット。当時日本で起こっていたワールドミュージックブームの一端を担った。2007年、坂本のシングルに清志郎・細野が楽曲提供を行い、その楽曲のテレビライブの際にはバックも務めた(実質的な再結成)。 清志郎(ボーカル、ギター他)、細野晴臣(ベース他)、坂本冬美(ボーカル) トーサンズ (1991年)「パパの歌」の企画盤「パパのカラオケ」レコーディング時のユニット。 清志郎(ボーカル)、浜口茂外也(パーカッション) ハバロフスク&マフィア (1991年)福岡・海の中道海浜公園での「ACOUSTIC REVOLUTION」(1991年8月25日)の際に井上陽水らと結成したユニット。 清志郎・井上陽水(ボーカル・ギター)、高中正義(ギター、ウクレレ)、細野晴臣(ベース)、チト河内(ドラム)、原田裕臣(パーカッション)、佐藤正治(パーカッション) 忌野清志郎 & 2・3'S (1991年 - 1994年)ジョニー・サンダースの追悼ライブ(川崎クラブチッタ)のために結成したバンドで、その後も恒常的に活動した。初期はトーサンズからの洒落でニーサンズとも表記されていた。初期のライブ時にはリクオ(キーボード)が参加。 清志郎 (ボーカル)、山川のりを(ギター)、中曽根章友(ベース)、大島賢治(ドラム) Screaming Revue (1994年 - 1995年)デビュー25周年用に結成した、コーラス・ストリングスを含む不定形の大所帯バンド。ボブ・ディランの「ローリング・サンダー・レヴュー」がアイデアのもととなっている。 1994年6月25日の初ライブ(渋谷公会堂)時のメンバー 清志郎(ボーカル)、三宅伸治(ギター)、川上剛(ベース)、杉山章二丸(ドラム)、白井幹夫(ピアノ)、ホアチョ(パーカッション) スクリーミングシンガーズ:マチコ、ミキ、久保田洋司 スクリーミングストリングカルテット:太田恵資(バイオリン)、原えつこ(バイオリン)、福森隆(ビオラ)、早川岳晴(チェロ) 忌野清志郎 Little Screaming Revue (1996年 - 1999年)Screaming Revueの縮小版バンド。初期のライブでは厚見玲衣(キーボード)がサポートで参加。 清志郎(ボーカル)、三宅伸治(ギター)、藤井裕(ベース)、富岡義広(ドラム) ぴんく (2000年 - 2001年)「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画から生まれた覆面バンド。清志郎が「ざくろ」名義で作詞・作曲したシングル『何度も夢の中でくり返すラブ・ソング』を福岡のレコード・ショップ「カメレオン・レコード」のみで限定販売した。関連ユニットの中で唯一、清志郎がメインではない。 長瀬智也(ボーカル、ギター)、松岡昌宏(ベース、コーラス)、清志郎(ギター、コーラス)、富岡義広(ドラム) ラフィータフィー (2000年 - 2001年)アルバム『ラフィータフィー』製作時のメンバーを中心に結成したバンド。 清志郎(ボーカル)、ジョニー・フィンガーズ(キーボード、ギター)藤井裕(ベース)、上原"ユカリ"裕(初代ドラム)、宮川剛(二代目ドラム)、武田真治(サックス) ミツキヨ (2002年)及川光博とのユニット。及川が楽曲提供を依願し、親交が始まった。このとき清志郎が「どうせならユニット組んでやろうよ」と持ちかけ、音楽ユニット「ミツキヨ」が生まれた。及川は清志郎並みにベイベーを得意とする。 清志郎・泉谷・スパイスマーケット (2002年)泉谷と組んだ最後のユニット。 清志郎(ボーカル・ギター・キーボード)、泉谷しげる(ボーカル・ギター)、三宅伸治(ギター)、Leyona(ボーカル・パーカッション)、KANAME(ベース)、阿部耕作(ドラム)、宮川剛(ドラム)、GENTA(パーカッション・ドラム) LOVE JETS (2002年-2003年)サイクリング用のヘルメットを被った謎の宇宙人バンド(覆面バンド)。「安藤ロイド」というマネージャーを従えている。2002年のフジロックではRCサクセションの「雨上がりの夜空に」を演奏した。主にインディーズ・レーベル「ジェットブラ下部式会社」から作品を発表。翌2003年にはアメリカでもデビューしている。 清志郎によく似たPURAHA(ボーカル、ギター)、KANAMEによく似たPYE-RON(ベース)、阿部耕作によく似たPRINCIPAL(ドラム) 忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS (2003年 - 2009年)2003年8月17日の日比谷野外音楽堂ライブで結成し、「TOUR '03-'04 "WANTED"」時に命名。NEW BLUE DAY HORNSはRCサクセション時代のサポートをしていた「BLUE DAY HORNS」(梅津、片山)にちなんでいる。忌野の死後も、ロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』や2009年のフジロック・フェスティバルなどに出演。 清志郎(ボーカル)、三宅伸治(ギター)、中村きたろう(ベース)、厚見玲衣(キーボード)、宮川剛(初代ドラム)、江川ゲンタ(二代目ドラム)、梅津和時(アルトサックス)、片山広明(テナーサックス)、渡辺隆雄(トランペット)
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