ジョニー・サンダースとは? わかりやすく解説

ジョニー・サンダース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 04:06 UTC 版)

ジョニー・サンダース
Johnny Thunders
ジョニー・サンダース(1980年)
基本情報
出生名 John Anthony Genzale Jr.
生誕 1952年7月15日
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
死没 (1991-04-23) 1991年4月23日(38歳没)
アメリカ合衆国
ルイジアナ州
ジャンル ロック
パンク・ロック
グラム・ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器 ギターボーカル
活動期間 1971年 - 1991年
共同作業者 ニューヨーク・ドールズ
ハートブレイカーズ
著名使用楽器
ギブソン・レスポール・ジュニア

ジョニー・サンダースJohnny Thunders1952年7月15日 - 1991年4月23日)は、アメリカ合衆国出身のミュージシャンシンガーソングライター、ロックンローラー。

パンク・ロックに多大なる影響を与えたニューヨーク・アンダーグラウンド・ロック・アーティストの一人。「ニューヨーク・ドールズ」を経て、自ら率いる「ハートブレイカーズ」などで活動した。

略歴

ソロ時代初期 (1979年)

ニューヨーク・ドールズ

1971年[1]、アーサー・ケイン(ベース)等と共にニューヨーク・ドールズを結成。ジョニーはリード・ギターを務めた。1972年には、激しいライヴや中性的なファッションが注目を集め、ルー・リードミック・ジャガーデヴィッド・ボウイからも絶賛される。

1973年、デビュー・アルバム『ニューヨーク・ドールズ』発表。プロデューサーはトッド・ラングレン1974年、2作目の『悪徳のジャングル』発表。後期ニューヨーク・ドールズのマネージャーは、後にセックス・ピストルズをデビューさせたマルコム・マクラーレンであった。

1975年夏の日本公演直前にジョニーとジェリー・ノーラン(ドラム)はニューヨーク・ドールズを脱退。このときピストルズ結成を準備していたマクラーレンからロンドンに来るよう誘われたが、断っている。

ハートブレイカーズ

ジョニーとジェリーは、元テレヴィジョンリチャード・ヘル(ベース)やウォルター・ルー(ギター)と共にジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズハートブレイカーズ)を結成。ここでジョニーはリード・ボーカルも兼任する。間もなくリチャードが脱退し、ビリー・ラス(ベース)を後任に迎える。バンドはイギリスに渡り、1976年秋にセックス・ピストルズザ・クラッシュダムドと共に「アナーキー・ツアー」に参加[2]。そして、1977年に唯一のスタジオ・アルバム『L.A.M.F.』 (Like A Mother Fucker)を発表。

ソロ活動

1980年代

ハートブレイカーズ解散後、ジョニーはロンドンに留まり、1978年にソロ・デビュー作『ソー・アローン』を発表。元セックス・ピストルズスティーヴ・ジョーンズポール・クックシン・リジィフィル・ライノット、元スモール・フェイセスハンブル・パイスティーヴ・マリオットプリテンダーズクリッシー・ハインドオンリー・ワンズのピーター・ペレット等、豪華ゲストが大挙参加した。

1985年に初来日公演を行う。

1986年に再来日公演を行う。

1988年に3回目の日本公演を行う。

1991年4月の来日公演後、4月23日ニューオーリンズのホテルで死亡した。死因はオーバー・ドーズとも言われているが、真相は謎に包まれている。38歳という若さであった。

2015年、生涯を追ったドキュメンタリー映画『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』が日本公開[3]

名前の由来

ザ・キンクスのコンセプトアルバムである、『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』に出てくるバイク乗りが由来といわれる。

使用ギター

ニューヨーク・ドールズ時代から主にギブソン・レスポール・ジュニア・ダブルカッタウェイ(TVモデル)を使用。オベーションモーリスエレアコギブソン・レスポール・スペシャルなども使用していた。

ジョニー・サンダース信奉者

ジョニーを崇拝するロック・ミュージシャンは実に多い。元ザ・スミスモリッシーは、無名時代に『The New York Dolls』という小冊子を自費出版したほどのマニアである。『ソー・アローン』収録のバラード「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・アラウンド・ア・メモリー」は、マイケル・モンローガンズ・アンド・ローゼズにカヴァーされた。

日本でも人気が高く、ZIGGYの『HOT LIPS』やRCサクセションの『COVERS』、えびの『にくまれっこ世にはばかる』で、ゲスト・プレイヤーとして招かれた。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • ソー・アローン』 - So Alone (1978年)
  • 『イン・コールド・ブラッド』 - In Cold Blood (1983年)
  • Diary of a Lover (1983年)
  • 『ハート・ミー』 - Hurt Me (1983年) ※アコースティック・ギター弾き語り作品
  • 『ケ・セラ・セラ』 - Que Sera Sera (1985年)
  • 『コピー・キャッツ』 - Copy Cats (1988年) ※with パティ・パラディン

ライブ&コンピレーション・アルバム

  • 『トゥ・マッチ・ジャンキー・ビジネス』 - The New Too Much Junkie Business (1983年)
  • Stations of the Cross (1987年)
  • 『ブートレッギング・ザ・ブートレッガーズ』 - Bootlegging the Bootleggers (1990年)
  • 『ギャング・ウォー』 - Gang War (1990年) ※ギャング・ウォー名義。with ウェイン・クレイマー
  • 『ライヴ・イン・ジャパン 1991』 - Live in Japan (1991年)
  • 『ハヴ・フェイス』 - Have Faith (1992年)
  • 『ハート・ミー・モア』 - Hurt Me More (1993年) ※1991年、死の直前に行われた大阪でのライブ
  • 『サッディスト・ヴァケイション~ラスト・ライヴ・イン・ジャパン1』 - Saddest Vacation Act. 1 (1993年)
  • 『サッディスト・ヴァケイション~ラスト・ライヴ・イン・ジャパン2』 - Saddest Vacation Act. 2 (1993年)
  • Chinese Rocks: The Ultimate Thunders Live Collection (1993年)
  • 『ストリート・ファイティング』 - Street Fighting (1993年) ※ギャング・ウォー名義。with ウェイン・クレイマー
  • Add Water & Stir (1994年)
  • 『ステイションズ・オブ・ザ・クロス』 - Stations of the Cross (Revisited) (1994年)
  • 『外伝』 - The Best Of Johnny Thunders (1994年)
  • The Studio Bootlegs (1996年)
  • Belfast Rocks (1997年)
  • 『ライヴ・イン・スウェーデン』 - Live In Sweden 1984 (1998年) ※with シルヴェイン・シルヴェイン
  • Born Too Loose: The Best of Johnny Thunders (1999年)
  • Live at Leeds (1999年)
  • Play with Fire (2000年)
  • Endless Party (2000年)
  • Panic on the Sunset Strip (2000年) ※日本盤は『ハリウッド・バビロン』 - Hollywood Babylonとしてリリース
  • Live & Wasted: Unplugged 1990 (2001年)
  • 『サンダーストーム・イン・デトロイト』 - Thunderstorm In Detroit (2001年)
  • Eve of Destruction (2005年)
  • 『スティックス&ストーンズ ザ・ロスト・アルバム』 - Sticks & Stones: The Lost Album (2009年)
  • 『スパニッシュ・メモリー』 - Madrid Memory (2019年)

シングル&EP

  • "Dead or Alive" 7" (1978年)
  • "You Can't Put Your Arms Around a Memory" (1978年)
  • "Twist And Shout/Boys" ( live at Max's with Jimi LaLumia & The Psychotic Frogs; 1981年)
  • "In Cold Blood" (1983年)
  • "Hurt Me" (1984年)
  • 「クローフィッシュ」 - "Crawfish (1985年) ※with パティ・パラディン
  • "Que Sera Sera (1988年)

ニューヨーク・ドールズ

ハートブレイカーズ

  • L.A.M.F.』 - L.A.M.F. (1977年)
  • 『ライヴ・アット・マクシズ・カンザス・シティ』 - Live at Max's Kansas City (1979年、ライブ)
  • 『L.A.M.F.リヴィジテッド』 - L.A.M.F.Revisited (1984年) ※バンド解散後の1984年に、サンダースが上記作品を自らリミックス・再編集、ジャケット・デザイン等も一新して発売した。

脚注

関連項目

外部リンク


ジョニー・サンダース

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マッハブレイカーズ」の記事における「ジョニー・サンダース」の解説

アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身25歳本作の代表キャラクターとなっている人物インストカードでは彼が他の人物より大きく扱われている)。パワースピード共に3ポイントステータスであるため、苦手種目はほとんどない

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