世界への影響とファシズムの台頭
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「戦争文学」の記事における「世界への影響とファシズムの台頭」の解説
大戦と並行して起きたアラブ反乱では、アラブ側として参加したイギリス人T.E.ロレンスの自伝的作品『知恵の七柱』が広く反響を呼ぶ。1936年からのスペイン内戦は欧米のインテリや芸術家に深い影響を与え、ヘミングウェイやジョージ・オーウェルも義勇軍経験にもとづく作品を書き、スティーブ・ネルソンの戦闘の実情を描いた『義勇兵』などがある。フェデリコ・ガルシーア・ロルカは『ジプシー歌集』で迫害の歴史を謳ったが、フランコ軍に捕らえられて銃殺された。マルセー・ルドゥレダ『ダイヤモンド広場』(1962)はスペイン内戦の混乱に翻弄される女性を描くカタルーニャ文学で、ガルシア=マルケスに「内戦後にスペインで出版された最も美しい小説である」と評された。アンドレ・マルローは中国内戦やインドシナ独立運動を舞台にして『征服者』(1928)、『王道』(1930)などを書き、スペイン内戦でも人民政府に参加した。 プロレタリア文学からは、シベリア出兵を体験した黒島伝治による「渦巻ける烏の群」(1927)などの反戦小説、日本統治下朝鮮のパルチザンを描く反戦詩、槇村浩「間道パルチザンの歌」(1932)などが生まれた。1928年には日本左翼文芸家総連合による反戦文学集『戦争ニ対スル戦争』(黒島伝治「橇」、立野信之「標的になった彼奴ら」、壷井繁治「頭の中の兵士」などを収録)が刊行。済南事件を題材にした黒島「武装せる市街」はおびただしい伏字とともに1928年に発行されたが、ただちに発禁にあい、また第2次大戦後にはGHQによる検閲で発行を停止された。 ヨーロッパでファシズムが勢いを増すとロランはバルピュスとともに反ファシズム運動を始め、1933年にはロランを名誉総裁に国際反ファシスト委員会を結成、ナチス政府はロランの出版物の焼却命令を出した。ハインリヒ・マンとトーマス・マンの兄弟も、ナチス台頭への反対を訴え、トーマス「五つの証言」、ハインリヒ「超民族性への信仰告白」(1932)などを執筆するが、ナチス政権による焚書、追放により亡命する。スイス在住となっていたヘッセもこの頃はナチスへの協力を求められたが、1939年からは「好ましからぬ」作家と位置付けられて用紙の配給を止められ、『ナルチスとゴルトムント』(1927)から中世におけるユダヤ人迫害の叙述を削るように要求されたことを拒否して刊行停止とされたが、精神文化のユートピア世界を描きながら独裁体制や暴力への批判も込めた大作『ガラス玉演戯』(1943)の執筆を続けていた。ナチスによる政治犯収容所からの脱走を題材にしたアンナ・ゼーガース『第七の十字架』(1942)も亡命先パリで書かれ、反ファシズム小説、抵抗文学として国際的に高い評価を受け、最初に出版されたアメリカではベストセラーとなってマンガ化、映画化もされて広く読まれたが、戦後ドイツでは占領国アメリカによって映画は上映禁止とされた。 国共内戦下の中国では、葉紫による農民の闘争を描く「豊収」(1933)や、蔣介石の北伐を描く「陽は西に上る」(1939、未完)などが書かれた。
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