世界への感染拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 02:18 UTC 版)
「重症急性呼吸器症候群」の記事における「世界への感染拡大」の解説
流行に一般の関心が向いたのは、2003年2月に、中国に渡航したアメリカ人ビジネスマンが、シンガポールへの飛行中に肺炎様の症状を呈した一件からだった。飛行機はベトナム・ハノイに立ち寄り、このビジネスマンはハノイ・フレンチ・ホスピタル(英語版)に搬送され、転院先の香港で死亡した。一般的なプロトコルで看護を行ったにもかかわらず、この男性から複数の医療スタッフへ二次感染が起きた。イタリア人医師のカルロ・ウルバニは感染危機に気づき、WHOとベトナム政府の連携を要請して感染拡大阻止に尽力したが、その後自身もSARSに罹患して死亡した。 症状の重症度と、病院スタッフへの院内感染は国際保健当局に危機感を持って捉えられ、当局は肺炎感染症の拡大を危惧した。2003年3月12日、WHOはグローバル・アラート(英語版)を発令し、アメリカ疾病予防管理センター (CDC) もこれに続いてアラートを発表した。WHOは続く3月15日に、広東省・香港への渡航自粛勧告を出す異例の措置を取った。SARS感染拡大は、トロント、オタワ、サンフランシスコ、ウランバートル、マニラ、シンガポール、台湾、ハノイ、香港で見られ、中国国内では広東省、吉林省、河北省、湖北省、陝西省、江蘇省、山西省、天津市、内モンゴル自治区などに拡大した。この際、WHO西太平洋事務局の責任者として、押谷仁が陣頭指揮に当たった(その後、2005年に東北大学教授就任)。 台湾での感染状況については「2003年台湾におけるSARSの流行」を参照
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