世界への情報発信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「アムンセンの南極点遠征」の記事における「世界への情報発信」の解説
アムンセンはフラムハイムに戻ったときに、時をおかず次の行動に移った。小屋の中で最後の晩餐を摂った後、残っていた犬と貴重な装置をフラム号に積み、1912年1月30日遅くにはクジラ湾を出港した。最初の目的地はタスマニアのホバートだった。その5週間の旅の間にアムンセンは電報を用意し、マスコミに渡すことになる最初の報告書を書いた。3月7日、フラム号はホバートに到着し、アムンセンは直ぐにスコットからのニュースが届いていないことを確認した。アムンセンは即座に兄弟のレオン、ナンセン、ホーコン国王に電報を送った。翌日にはロンドンの「デイリー・クロニクル」に宛てて最初の全証言を発信した。同紙には排他的権利を売っていた。フラム号は2週間ホバートに留まり、その間にオーストラリア南極遠征に使われていたダグラス・モーソンの船オーロラが到着した。アムンセンは残っていた犬21頭を彼らに贈った。
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