上演のコンセプト
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「モスクワ芸術座版『ハムレット』」の記事における「上演のコンセプト」の解説
1908年4月にクレイグを招待した際、スタニスラフスキーはクレイグが先進的な舞台芸術家と働きたいと熱望していることに非常に心を打たれていた。しかしながらスタニスラフスキーはクレイグと自分の間には将来のヴィジョンに関してどれほど大きな違いがあるかということには気付いていなかった。フセヴォロド・メイエルホリドとの実験やスタジオでの試みが失敗した後、スタニスラフスキーは役者の重要性を強調するようになっていた。スタニスラフスキーは「セットも演出家もデザイナーも芝居を伝えることはできない…芝居は役者の手に握られている」と信じていた。この原則ゆえにスタニスラフスキーは役者のアプローチを大きく再考することとなった。クレイグの存在に気付くまでに、スタニスラフスキーはのちに「スタニスラフスキー・システム」の支柱となるものを発展させはじめていた。スタニスラフスキーは良い演技というのは外に見えるものではなく内的動機からくるものだと確信していた。スタニスラフスキーの考えはほぼ役者の役柄を中心としていた一方、クレイグの新しい演劇に関するヴィジョンは役者の意義を切り詰め、そこから演出家のヴィジョンが生まれる道具として扱うものであった。クレイグの考えでは、「役者はもはや自らではなく他の何かを表現する。もはや真似をしてはならず、示さねばならないのだ」。クレイグの意見によると、よい舞台ではある1人の人間の管理下で全ての要素が統一される必要があった。シェイクスピア劇を舞台で上演するためというよりは詩と考える象徴主義運動の傾向にあわせて、クレイグは影響力のあるマニフェストとなった『劇場の芸術について』(The Art of the Theatre、1905)で「舞台で表現されるものとしての性質を持っていない」と論じていた。スタニスラフスキーは1908年の夏に上演を予定していた作品『青い鳥』について議論するため劇作家のモーリス・メーテルリンクのもとを訪れたことがあったが、メーテルリンクはこの15年ほど前に『ハムレット』や『リア王』、『マクベス』、『オセロー』、『アントニーとクレオパトラ』 など演劇史における偉大な戯曲の多くは「上演できない」と述べていた。1908年にクレイグは『ハムレット』を適切に上演することは「不可能」だと主張した。モスクワ芸術座に『ハムレット』をすすめた時、クレイグは「シェイクスピア劇は本来、舞台芸術に属するものではないという自らの説を検証する」つもりだった。 クレイグはこの上演を、あらゆる側面が主人公に従属する象徴主義的な一人芝居のようなものとして構想していた。戯曲はハムレットの目を通して見える夢のようなビヴィジョンとして提示される。この解釈を支えるため、クレイグは狂気、殺人、死などを象徴するアーキタイプ的な登場人物を付け加え、あらゆる場面でハムレットが舞台上にいてみずから参加しないことについても見守っているというようにしたかった。スタニスラフスキーはクレイグの考えを退けた。スタニスラフスキーは、役者がスタニスラフスキー・システムから決して遠ざからないようにしつつ、戯曲のテクストじたいに剥き出しの明白な感情をまとわせることを望んでいた。それに対してクレイグは役者たちが登場人物の感情をあらわにさせないよう求めた。クレイグが生命力のない芝居を作りたかったということではなく、反対にクレイグはテクストが人物の動機や感情を明確に述べていると信じていた。クレイグは簡素さを実現しようと努力していたが、これは小山内薫がのちにEducational Theatre Journalで「内容ではなく、表現の簡素さ」と読んだようなものであった。スタニスラフスキーがアクションをたくさん起こすよう求めたところで、クレイグは詩に場面を引っ張らせるため、動きを極力減らすことを望んだ。 しかしながら、このようにクレイグの象徴主義的な美学とスタニスラフスキーの心理的リアリズムの間には明らかに差があったにもかかわらず、2人は芸術的な考えを共有しているところもあった。スタニスラフスキー・システムは象徴主義演劇の実験から発展したものであり、それによりスタニスラフスキーのアプローチは自然主義的な外面から登場人物の「魂」の内的世界へ強調の軸を移すこととなった。2人とも、自作においてすべての演劇的要素の統一が実現されることの重要性を強調していた。1909年2月、スタニスラフスキーは上演したばかりのニコライ・ゴーゴリの『検察官』についてリュボフ・ギュルヴィッチに書き送った手紙で、「リアリズムへの回帰」を認めているが、このせいで協働が妨げられることはないと信じているとも述べている。 もちろん、我々はリアリズムに回帰しましたが、もっと深く、洗練されていて心理的なリアリズムです。もう少しこれを強めたいものです。そうすればもう一度我々の探求を続けられるでしょう。このためにゴードン・クレイグを招いたんです。新しい方法を模索して彷徨った後、さらなる強靱さのためリアリズムに戻るのです。たとえば印象主義のような舞台におけるあらゆる抽象作用は、もっと洗練された深いリアリズムにより実現できるということに疑いを持ってはおりません。他のやり方はみなまやかしで、枯れたものです。 とは言うものの、このシェイクスピア劇の主役に関するクレイグとスタニスラフスキーの解釈は非常に異なっていた。スタニスラフスキーはハムレットについて、行動的でエネルギッシュで改革を推進するような性格の人物を思い描いていたが、クレイグはまわりにあるすべてのものに具象化された質料の原理との双方に破壊をもたらす葛藤にとらえられた精神的原理の象徴ととらえていた。クレイグはハムレットの悲劇を行動するというよりは語るものとして感じ取っていた。
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