上演について
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「エグモント (劇音楽)」の記事における「上演について」の解説
初演後、「エグモント」が劇として上演された回数は不明(1973年のザルツブルク音楽祭の演劇部門で上演された記録がある)。一方で、劇の内容をナレーターが説明し、上演する方法が比較的早い時期から行われていたようである。その際に使う説明文としては、かつてはフランツ・グリルパルツァーらが手がけたものを使用していたが、最近ではゲーテの原作から自由に台詞を抜粋して(ただし、話の流れを無茶苦茶にしない程度)上演する方法も多い。演奏会やレコーディング等でのナレーター役には俳優などがしばしば起用され、例えば1991年のベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートで演奏されたときは、ブルーノ・ガンツがナレーターを務めている。日本では1969年にNHK交響楽団が川久保潔をナレーターとして上演している。
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上演について
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『パルジファル』は、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場での上演を前提にして書いた唯一の作品である。ワーグナーの死後、その遺志を継いだ未亡人コジマは『パルジファル』をバイロイトの独占とするために運動し、1886年のベルヌ条約により、1913年までバイロイトでの独占上演が認められた。ワーグナーの死から30年後、作曲家の著作権が切れる1913年12月31日の深夜から翌日にかけて、ベルリン、ブダペスト、バルセロナの各歌劇場で『パルジファル』が上演された。ブダペスト初演の指揮者はフリッツ・ライナーである。しかし、条約批准の遅かったアメリカとオランダでは、これらに先立ち、1903年にニューヨーク、1905年にアムステルダムで、それぞれ初演されていた。 「ワーグナーが全幕の後に拍手を禁じた」という事実はない。これは初演時に彼が「雰囲気を損なわないために途中で拍手しないように」と求めたところ(しかしワーグナー自身が「花の乙女」のシーンで拍手したともいう)、観客が幕の後にも拍手をしなかったため、ワーグナーは戸惑い、後で「それは誤解で、各幕の後に拍手をしてくれてよい」と語った。これが原因となって現在でも第1幕の後に沈黙を守る慣習が残っているが、近年ではウィーンやバイロイトでも通常通りの拍手が起こることも普通になっている(ただしカーテンコールは行われないことも多い)。
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