問題作『タルチュフ』公開、上演禁止へとは? わかりやすく解説

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問題作『タルチュフ』公開、上演禁止へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:46 UTC 版)

モリエール」の記事における「問題作『タルチュフ』公開、上演禁止へ」の解説

タルチュフ」も参照 祝祭6日目には『タルチュフ』が最初三幕限って上演された。この「第三幕目まで」という情報ラ・グランジュのつけていた『帳簿』に見え記述だが、不可解な点多くあるため、この際上演された作品内容形式巡って議論となっている。もちろん決定的な証拠はないので、何の決着もついていない。 『タルチュフの上演を巡っては、祝祭一月前から聖体秘蹟協会中心とするキリスト教信者たちが上演阻止キャンペーン張っていた。彼らは『女房学校以来モリエール作品反宗教要素見出し、彼を監視しており、新作の上演が近いことを聞きつけてそのような行為及んだのである。ただ、モリエールそのような妨害行為を指をくわえて見ているような男ではなかった。彼は妨害活動が行われていることを察知し、彼らによって上演阻止という目的達せられる前に祝祭で、しかも国王陛下御前で『タルチュフ』を上演したのである。以下はこの祝祭公式記録伝え本作について記述である この夜、陛下モリエール氏が偽善者どもを俎上にのせて書いた喜劇タルチュフ』を上演するよう計らわれた。劇は大変面白かったが、真の信仰によって天国への道を歩む人々と、下らぬ見栄から善行誇示するくせに悪しき行為をも行う輩との間には、たくさんの類似点があることをご承知でおられた国王陛下は、宗教問題についての細やかなご配慮から、このように悪徳と美徳似通って見せられるのを是とはされなかった。この両者は、互いに取り違えられかねないし、作者善意を疑うものではないにせよ、陛下はこの劇の公開禁じられた。そして、ほかの判断力乏し人々がこの劇を悪用せぬよう、ご自身もこの劇をご覧になるのをお控えになったのである。 この記録見ればわかるように、祭典で『タルチュフ』の初演問題なく行われたが、即日上演禁止となってしまった。聖体秘蹟協会キリスト教秘密結社で、貴族家庭入り込み良心導き手としてカトリック信仰守ろうとするなど、宮廷にもその影響力を浸透させていた。実際国王夫妻興味深そうに『タルチュフ』をご覧になったとのことだが、母后アンヌ・ドートリッシュはその諷刺に眉をひそめたという。この件について、モリエール親友であったボワロー語ったとされる言葉が遺っている。 モリエールは『タルチュフ』を書くと、その最初三幕国王陛下朗読し見せた、この芝居お気に召された陛下たいそう褒めになったために、却ってモリエール敵方とりわけ信心家集団妬み誘ってしまった。パリ大司教ペレフィックスは信者たちを代表して陛下謁見求めタルチュフの上禁止懇請した。この請願何度も繰り返されるので、陛下モリエール呼び出し、「彼らを刺激してならない」と仰った。… これには宮廷内での対立関係している。アンヌ・ドートリッシュ代表される「古い宮廷」が禁欲的信仰凝り固まっているに対してルイ14世代表される新し宮廷」は快楽追求し、それを正当化するために信仰隠れ蓑として利用しよう考えていた。そのため『タルチュフ』を国王夫妻は「興味深そうに」ご覧になったのだが、「古い宮廷ならびにキリスト教信者たちの圧力無視しきれず、『タルチュフの上演を禁止したであった。 だが上演禁止といっても、あくまで公の席に限ったことであって貴族の館などで行う私的な上演について何の罰則設けられていなかったため、作品観賞続けられた。『タルチュフ』が完全な形で、つまり全5幕の形で初演が行われたのは1664年11月29日のことである。コンデ大公の館で上演された。モリエールは公の席でも上演できるように、国王請願書を送るなどして画策したが、効果挙げることはできなかった。 「魔法の楽しみ」で大役果たし帰ってきたモリエール劇団に、新進作家ラシーヌ作品『ラ・テバイード』を持ち込んできた。ラシーヌ当初この作品を、悲劇を得意としていたブルゴーニュ座に上演してもらおう考えており、上演約束取り付けていたが、ブルゴーニュ座の都合もあってすぐには上演してもらえなかったため、しびれを切らしてモリエール劇団持ち込んできたのだったモリエール劇団の方でも『エリード姫の上準備万全ではないし、『タルチュフ』は上演禁止演目困っていたため、ちょうどよい申し出なのであった1664年6月20日初演行ったが、サッパリ客足伸びず、モリエール初期ファルスである『飛び医者』や『袋に入ったゴルジビュス(スカパンの悪だくみ前身)』などをおまけとして上演につけることで、なんとか客足つなぎとめる有様であったモリエールも、その劇団も、喜劇には才能があっても、やはり悲劇には向いていなかった。新進作家デビュー作としてはまずまずの成績挙げたが、ラシーヌ自尊心大いに傷つけられた。自身の作品ファルスなどと一緒に上演されたのに加えてブルゴーニュ座で上演していれば好成績収めることが出来ただろうと考えていたからである。

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