問題作『タルチュフ』公開、上演禁止へ
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「モリエール」の記事における「問題作『タルチュフ』公開、上演禁止へ」の解説
「タルチュフ」も参照 祝祭の6日目には『タルチュフ』が最初の三幕に限って上演された。この「第三幕目まで」という情報はラ・グランジュのつけていた『帳簿』に見える記述だが、不可解な点が多くあるため、この際に上演された作品の内容、形式を巡って議論となっている。もちろん決定的な証拠はないので、何の決着もついていない。 『タルチュフ』の上演を巡っては、祝祭の一月前から聖体秘蹟協会を中心とするキリスト教信者たちが上演阻止のキャンペーンを張っていた。彼らは『女房学校』以来、モリエールの作品に反宗教的要素を見出し、彼を監視しており、新作の上演が近いことを聞きつけてそのような行為に及んだのである。ただ、モリエールはそのような妨害行為を指をくわえて見ているような男ではなかった。彼は妨害活動が行われていることを察知し、彼らによって上演阻止という目的が達せられる前に祝祭で、しかも国王陛下の御前で『タルチュフ』を上演したのである。以下はこの祝祭の公式記録が伝える本作についての記述である この夜、陛下はモリエール氏が偽善者どもを俎上にのせて書いた喜劇『タルチュフ』を上演するよう計らわれた。劇は大変面白かったが、真の信仰によって天国への道を歩む人々と、下らぬ見栄から善行を誇示するくせに悪しき行為をも行う輩との間には、たくさんの類似点があることをご承知でおられた国王陛下は、宗教問題についての細やかなご配慮から、このように悪徳と美徳が似通って見せられるのを是とはされなかった。この両者は、互いに取り違えられかねないし、作者の善意を疑うものではないにせよ、陛下はこの劇の公開を禁じられた。そして、ほかの判断力の乏しい人々がこの劇を悪用せぬよう、ご自身もこの劇をご覧になるのをお控えになったのである。 この記録を見ればわかるように、祭典で『タルチュフ』の初演は問題なく行われたが、即日上演禁止となってしまった。聖体秘蹟協会はキリスト教の秘密結社で、貴族の家庭に入り込み、良心の導き手としてカトリック信仰を守ろうとするなど、宮廷にもその影響力を浸透させていた。実際、国王夫妻は興味深そうに『タルチュフ』をご覧になったとのことだが、母后アンヌ・ドートリッシュはその諷刺に眉をひそめたという。この件について、モリエールの親友であったボワローが語ったとされる言葉が遺っている。 モリエールは『タルチュフ』を書くと、その最初の三幕を国王陛下に朗読して見せた、この芝居をお気に召された陛下がたいそうお褒めになったために、却ってモリエールの敵方、とりわけ信心家の集団の妬みを誘ってしまった。パリの大司教ペレフィックスは信者たちを代表して、陛下に謁見を求め、タルチュフの上映禁止を懇請した。この請願が何度も繰り返されるので、陛下はモリエールを呼び出し、「彼らを刺激してはならない」と仰った。… これには宮廷内での対立も関係している。アンヌ・ドートリッシュに代表される「古い宮廷」が禁欲的で信仰に凝り固まっているに対して、ルイ14世に代表される「新しい宮廷」は快楽を追求し、それを正当化するために信仰を隠れ蓑として利用しようと考えていた。そのため『タルチュフ』を国王夫妻は「興味深そうに」ご覧になったのだが、「古い宮廷」ならびにキリスト教信者たちの圧力を無視しきれず、『タルチュフ』の上演を禁止したのであった。 だが上演禁止といっても、あくまで公の席に限ったことであって、貴族の館などで行う私的な上演については何の罰則も設けられていなかったため、作品の観賞は続けられた。『タルチュフ』が完全な形で、つまり全5幕の形で初演が行われたのは1664年11月29日のことである。コンデ大公の館で上演された。モリエールは公の席でも上演できるように、国王に請願書を送るなどして画策したが、効果を挙げることはできなかった。 「魔法の楽しみ」で大役を果たして帰ってきたモリエールの劇団に、新進作家のラシーヌが作品『ラ・テバイード』を持ち込んできた。ラシーヌは当初この作品を、悲劇を得意としていたブルゴーニュ座に上演してもらおうと考えており、上演の約束も取り付けていたが、ブルゴーニュ座の都合もあってすぐには上演してもらえなかったため、しびれを切らしてモリエール劇団に持ち込んできたのだった。モリエール劇団の方でも『エリード姫』の上演準備が万全ではないし、『タルチュフ』は上演禁止で演目に困っていたため、ちょうどよい申し出なのであった。1664年6月20日に初演を行ったが、サッパリ客足は伸びず、モリエールの初期のファルスである『飛び医者』や『袋に入ったゴルジビュス(スカパンの悪だくみの前身)』などをおまけとして上演につけることで、なんとか客足をつなぎとめる有様であった。モリエールも、その劇団も、喜劇には才能があっても、やはり悲劇には向いていなかった。新進作家のデビュー作としてはまずまずの成績を挙げたが、ラシーヌの自尊心は大いに傷つけられた。自身の作品がファルスなどと一緒に上演されたのに加えて、ブルゴーニュ座で上演していれば好成績を収めることが出来ただろうと考えていたからである。
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