「不可能」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 13:47 UTC 版)
「ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)」の記事における「「不可能」」の解説
「シャルルマーニュ」師団に残された最後の車輌の1つであるフォルクスワーゲン(キューベルワーゲン)に乗ってシュテーガース城(第18山岳軍団司令部)に到着したツィンマーマンSS大佐とパツァークSS少尉は、軍団司令官フリードリヒ・ホホバウム歩兵大将(Gen.d.Inf. Friedrich Hochbaum)のもとへ出頭した。疲労困憊した面持ちのホホバウム将軍は、まるで古くからの友人であるかのようにツィンマーマンを腕で掴み「それで、君たちのフランス兵は持ちこたえられそうかね?」と尋ねた。 これに対しツィンマーマンは「少将閣下、我々は戦場に鉄道輸送されたばかりで、戦車・大砲・対戦車兵器のいずれも所有しておりませぬ。閣下のご要望にお応えすることは不可能です」と答え、重兵器を装備していない「シャルルマーニュ」師団に将軍が無理難題を押し付けていることを諭そうとした。しかし、ホホバウム将軍はツィンマーマンの言にまったく耳を貸さず「不可能というのはフランス的ではない」 と言った。 若干うろたえながらツィンマーマンは、ドイツ軍将兵の中のポメラニア出身者 でさえ(彼ら自身の故郷を防衛するこの戦いで)後退している現実を繰り返し伝えた。それでもなお、ホホバウム将軍はツィンマーマンに対して無茶な要求を続けた。ツィンマーマンは、たとえドイツ軍将兵が全員戦死するほど熾烈に戦ってもロシア人の猛攻を食い止めることはできないだろう、と内心で結論づけた。 その後、ホホバウム将軍は「シャルルマーニュ」師団にシュテーガースまでの後退許可を与え、新たな防衛線を構築せよと命令した。直ちにエルゼナウへ戻れとホホバウム将軍から急かされ、もはや一刻の猶予もない緊迫した状況の中、将軍の見送りを受けながらツィンマーマンとパツァークは城の庭に停めている車まで戻ろうとした。 しかしその時、1輌のT-34が遠方に出現した。戦車砲の轟音が響き、ツィンマーマンたちの車は火だるまと化した。T-34は(どういうわけか)それ以上攻撃せずにどこかへ去ったものの、ツィンマーマンとパツァークは移動手段を失ってしまった。彼らは日中に徒歩でエルゼナウまで戻るよりも、夜になってからホホバウム将軍や彼の幕僚たちと共に移動することを選んだ。 そして翌日の2月26日、ツィンマーマンたちはエルゼナウから脱出したクルケンベルクSS少将とフレーテンシュタイン(Flötenstein、現コツァワ(Koczała):シュテーガースから約15キロメートル北に位置する村)で合流した。
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