三和銀行の行風とは? わかりやすく解説

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三和銀行の行風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 00:20 UTC 版)

UFJ銀行」の記事における「三和銀行の行風」の解説

メガバンク再編前、全国銀行協会会長輪番担当する都銀大手6行(三和東京三菱第一勧業・さくら・住友富士)の中で、三和銀行唯一地方銀行業容拡大した銀行であったこのため財閥系特殊銀行起源とする他行比べ優秀な新入行員確保苦労した。これらは、必然的にリクルーター通じて学閥内の繋がりが密接になり人事抗争繋がっていく事になった他行はこれを「三和DNA」と蔑称した。また、2019年1月4日朝日新聞記事では、実力主義をかかげ、「野武士集団」と呼ばれていたことが触れられている。 特に渡辺滉頭取一橋大学卒)時代には企画秘書人事中枢部門権限集中させ、同時に一橋大京都大学出身者中でも中村明秘書室長京都大卒)が重用された。中村高杉良経済小説金融腐蝕列島』で「カミソリ佐藤」と呼ばれ恐れられる銀行マンモデルとも言われ頭取渡辺に「私の思う通りやらせてもらえば三和収益ナンバーワンにしてみせる」と豪語行内で“七奉行”と呼ばれた若手秘書役(この一人に、UFJ最後頭取となる沖原隆宗居た)を補佐役として登用権勢揮う中、実際に業務純益経常利益当期利益都市銀行トップ実現したこうした経営意思決定迅速化成果出したものの、学閥中心にした側近政治弊害対す内部溜まった不満は1999年当時会長となった渡辺佐伯尚孝頭取東京大学卒)の主導権争い爆発し怪文書等の流布陰惨極めた結局両者辞任し中間派の室町鐘緒名古屋大学卒)が頭取昇進したものの、2002年UFJ銀行発足目前にして赤字決算責任取り退任した室町後任秘書室長経験者だった寺西正司大阪大学卒)であった寺西幹部層を岡崎副頭取中村正人企画部担当常務末席執行役員から抜擢した松本靖彦秘書室長慶應義塾大学卒)ら阪大慶大出身側近固め一方対立派閥属し三和銀行時代フィナンシャルワン立ち上げるなどかつて頭取候補と言われ杉山淳二常務東京大卒)をアプラス転出させ、また東海合併担当した藤田泰久常務京都大卒)に事実上退行を迫るなど、より側近政治派閥抗争悪化させる前述金融庁特別検査結果2004年5月寺西頭取退任沖原隆宗取締役付きでないにも関わらず常務執行役員からいきなり頭取就任するという異例の昇進をした。この時沖原は「(2005年3月期の)上期中に大口融資先対応について布石を打つ」「十指満たない融資先債権の処理を念頭に置いている」「UFJ銀行問題一言言えば大口融資先問題尽きる」などと述べ不良債権処理断行示唆した。 しかし、人事面で見れば寺西と共に退任余儀なくされた岡崎副頭取日本信販会長へ、常務中村JCB専務への転出決定、また松本秘書室長常務執行役員昇格させ、松本筆頭直属部下である佐野極秘書役、京都大卒)・企画部長・広報部次長いわゆる4人組」を側近据えたこうした旧態依然たる人事施策は再び金融庁逆鱗触れ、これらの人事撤回させられたばかりでなくUFJ消滅へ遠因となったその後、すでに優秀な人材流出していたUFJ内部疲弊派閥抗争余裕すら失っていくこととなった

※この「三和銀行の行風」の解説は、「UFJ銀行」の解説の一部です。
「三和銀行の行風」を含む「UFJ銀行」の記事については、「UFJ銀行」の概要を参照ください。

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