三和銀行・東海銀行との統合構想とは? わかりやすく解説

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三和銀行・東海銀行との統合構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:12 UTC 版)

あさひ銀行」の記事における「三和銀行・東海銀行との統合構想」の解説

1998年10月7日東海銀行との経営統合発表した発表では翌年10月目処共同持株会社発足させ、2001年以降三大都市圏ごとに地域子会社再編し投資銀行業務を行う国際資金証券銀行仮称)を新たに設立するとした。また「マルチリージョナルバンク」を基本コンセプトとして掲げた。 この発表前後して1999年8月第一勧業銀行富士銀行日本興業銀行経営統合(現:みずほFG)、同年10月には住友銀行さくら銀行合併(現:三井住友銀行)が発表された。 こうした中、行風の強烈さから金融再編流れ取り残されていた三和銀行並びに統合発表したあさひ銀・東海銀は、株価相対的に低迷しみずほFG住友・さくらといったメガバンクとの対抗上、なお不十分で次の一手が必要とみられていた。 2000年3月14日三和銀を加えて3行で経営統合した上で、翌2001年4月金融持株会社設立する発表した発表にあたって統合理念として「(1)マルチリージョナルバンク構想発展拡大させ、社会価値あるサービス提供する新時代新し金融サービス業想像する」、「(2)ミドル・リテール分野中心として、わが国最大顧客基盤最高水準サービス・機能提供力を有する日本随一総合金融グループ目指す」を掲げた。そして統合先立ちキャッシュカードATM出金手数料東海銀・三和銀と相互に自行扱いとなる施策実施した。 しかし、統合交渉が進むと東海銀・三和銀が持株会社方式ではなく合併による統合をしたいと言い出し、これに対して、あさひ銀は合併方式では三和飲み込まれてしまうと幹部行員猛反発。さらに欧米の「リージョナルバンク」(地域銀行)を模範とする地域密着型戦略重視するあさひ銀と、統合によって自己資本充実させ、国際業務大企業融資重視するマネーセンターバンク戦略重視する三和銀の新銀戦略との隔たり大きさ表面化した加えて、あさひ銀内で主導権握っていた旧協和銀側と、収益強さ誇っていた旧埼玉銀側との合併以来確執おさまっていなかった。そうした状況踏まえ2000年8月伊藤龍郎あさひ銀頭取統合からの離脱決断した。これによって残る2行はUFJホールディングス設立向かった

※この「三和銀行・東海銀行との統合構想」の解説は、「あさひ銀行」の解説の一部です。
「三和銀行・東海銀行との統合構想」を含む「あさひ銀行」の記事については、「あさひ銀行」の概要を参照ください。

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