三和銀行・東海銀行との統合構想
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「あさひ銀行」の記事における「三和銀行・東海銀行との統合構想」の解説
1998年10月7日、東海銀行との経営統合を発表した。発表では翌年10月を目処に共同持株会社を発足させ、2001年秋以降に三大都市圏ごとに地域子会社に再編し、投資銀行業務を行う国際資金証券銀行(仮称)を新たに設立するとした。また「マルチリージョナルバンク」を基本コンセプトとして掲げた。 この発表と前後して、1999年8月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の経営統合(現:みずほFG)、同年10月には住友銀行とさくら銀行の合併(現:三井住友銀行)が発表された。 こうした中、行風の強烈さから金融再編の流れに取り残されていた三和銀行並びに統合を発表したあさひ銀・東海銀は、株価が相対的に低迷し、みずほFGや住友・さくらといったメガバンクとの対抗上、なお不十分で次の一手が必要とみられていた。 2000年3月14日、三和銀を加えて3行で経営統合した上で、翌2001年4月に金融持株会社を設立すると発表した。発表にあたって統合の理念として「(1)マルチリージョナルバンク構想を発展・拡大させ、社会に価値あるサービスを提供する、新時代の新しい金融サービス業を想像する」、「(2)ミドル・リテール分野を中心として、わが国最大の顧客基盤と最高水準のサービス・機能提供力を有する、日本随一の総合金融グループを目指す」を掲げた。そして統合に先立ちキャッシュカードのATM出金手数料が東海銀・三和銀と相互に自行扱いとなる施策を実施した。 しかし、統合交渉が進むと東海銀・三和銀が持株会社方式ではなく、合併による統合をしたいと言い出し、これに対して、あさひ銀は合併方式では三和に飲み込まれてしまうと幹部行員が猛反発。さらに欧米の「リージョナルバンク」(地域銀行)を模範とする地域密着型の戦略を重視するあさひ銀と、統合によって自己資本を充実させ、国際業務や大企業融資を重視するマネーセンターバンク戦略を重視する三和銀の新銀行戦略との隔たりの大きさも表面化した。加えて、あさひ銀内で主導権を握っていた旧協和銀側と、収益の強さを誇っていた旧埼玉銀側との合併以来の確執もおさまっていなかった。そうした状況を踏まえ、2000年8月に伊藤龍郎あさひ銀頭取が統合からの離脱の決断した。これによって残る2行はUFJホールディングスの設立に向かった。
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