三十年戦争期
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「アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (テュレンヌ子爵)」の記事における「三十年戦争期」の解説
フランス王家とブイヨン公爵家=スダン公家の関係は、テュレンヌの初期の経歴に顕著な影響を与えた。ブイヨン公爵家を懐柔するためにリシュリューはテュレンヌを昇進させたが、フレデリックがリシュリューへの陰謀を目論み捕らえられた影響で、国王の側近達はテュレンヌを全面的に信用することができなかったのである。その上、彼のプロテスタント信仰に対する強固な執着が、大臣とテュレンヌの関係において困難な要素を成していた。 それにもかかわらず、リシュリューは1643年にフランス側に寝返ったカリニャーノ公指揮下のイタリアでの戦闘をテュレンヌに託し、テュレンヌも期待に応え数週間でトリノを落とし、同年の終わりにフランスへ呼び戻され、12月19日にフランス元帥に任命された。直後にアルザスへ赴任、かつてベルンハルトが率いていたヴァイマル軍(ベルンハルト亡き後フランスと契約していた連隊)再編成のため出発した。ヴァイマル軍は11月24日から25日にかけてトゥットリンゲンの戦いの手痛い敗北を喫したばかりだった。 この時32歳になっていたテュレンヌは、これまでに4人の指揮官の下で戦い成長してきた。組織的なオラニエ公、激しい気性のベルンハルト、勇敢なラ・ヴァレット枢機卿、頑固で抜け目のないアルクール伯、その誰もがテュレンヌの形成に貢献した。 再編成の任務を終え、テュレンヌはブライザハにおいてライン川を横断する1644年の作戦を開始した。ほぼ同時にアンギャン公(後のコンデ公ルイ2世)指揮の軍がテュレンヌ軍と合流、王家に連なるアンギャン公はフランス=ヴァイマル連合軍の総司令官となった。 8月にフランス=ヴァイマル軍はバイエルン選帝侯マクシミリアン1世の部下でバイエルン軍司令官フランツ・フォン・メルシーとフライブルクの戦いで激突、敵より多数の大損害を出しながらバイエルン軍を撤退させた。ここで敵が降伏する前にアンギャン公は撤退し、残されたテュレンヌが司令官として進軍を続けた。彼は強固な前方移動をもって1645年の遠征を展開したが、5月2日のメルゲンハイムの戦い(スペイン語版)でメルシーに敗北、一時辞任も考えたが、アンギャン公が再度フランス軍を率いて前線へやってきた上、スウェーデン軍とヘッセン=カッセル方伯軍から分遣隊の到着を得て体勢を立て直した。 スウェーデン軍はすぐに立ち去ったが、テュレンヌはアンギャン公と共に2万の軍勢でメルシー率いるバイエルン軍と戦い、8月3日のネルトリンゲンの戦い(英語版)で大きな損害を出しながらメルシーを討ち取り、決定的にバイエルン軍を打ち負かした。病にかかったアンギャン公はまたもフランス軍司令官にテュレンヌを任命して戦線から離脱、テュレンヌは再度大規模に結集した皇帝軍に対し止めを刺さなかったが、代わりにトリーアを攻略した。翌1646年にカール・グスタフ・ウランゲル率いるスウェーデン軍と共にバイエルンへ侵入、マクシミリアン1世に和平を余儀なくさせ、翌1647年3月14日に休戦条約に署名、戦争から離脱させた。 同年、テュレンヌは弱体化した神聖ローマ帝国軍へ攻撃することを申し出たが、マザランはスペインの不穏な動きを察して彼を代わりに対フランドル戦へ派遣した。この事でフランスは神聖ローマ帝国軍を叩く機会を失っただけでなく、6月にバイエルンの将軍ヨハン・フォン・ヴェルトが待遇上の不満からバイエルンの中立を独断で放棄して神聖ローマ皇帝フェルディナント3世に鞍替えして合流、7月に何ヶ月も給料をもらっていなかったヴァイマル軍の間に深刻な反抗が起こった。テュレンヌは見事な機転で不満を抱く連隊の処置を施し、少々の流血事件があったもののヴァイマル軍を元通りにし、事件を終結させた後にルクセンブルクへ進軍した。しかしすぐにライン戦線へ転戦するよう命令を受けたため、ウランゲルと共にドイツへ向かった。 1648年、先の中立放棄もあってバイエルンは再びオーストリアと同盟を結び連合軍を組織したが、フランス・スウェーデン軍連合軍は目を見張るような戦績を収め、5月17日のツスマースハウゼンの戦いで決定的な勝利を飾った。戦後、連合軍は終戦条約が締結されるまで火戦と白兵戦でバイエルンを疲弊させた。この破壊は多くの現代の歴史家が非難するものだが、当時の戦時の精神と戦闘行為で許された状況よりも過酷な手法がとられたわけではない。
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