三十年戦争終戦まで(1500年 - 1650年)
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「ヴィンターベルク」の記事における「三十年戦争終戦まで(1500年 - 1650年)」の解説
土地を取得することで、ヴィンタースベルクの面積は著しく拡大した。近隣の都市も同じように発展した。最も大きく発展したのは、荒廃した周辺集落を合併したブリーロンであった。遅くとも16世紀の初めまでにヴィンターベルクはアステンベルク地域にまでその版図を広げた。これによりヴィンターベルクは、隣のノルデナウ村の権利を巡ってヴァルデック伯と衝突した。南西部ではこの街が主張する領域は、ヴィトゲンシュタイン伯領と重なっていた。この両者との争いは18世紀末まで継続した。ヴィトゲンシュタインとは、1783年に紛争地域を分割する協定を締結した。 三十年戦争では1634年に隣町のメーデバッハがヘッセン軍に破壊され、ハレンベルクはニーダートーアが破壊されて防御が無力化された。両市は、軍税、食糧提供、略奪、強盗、殺害に苦しめられた。さらにペストも流行した。両市はこれらにより多くの住民を失った。ヴィンターベルク市は、1622年から様々な軍勢の度重なる宿営にもかかわらず、両市のような運命をおおむね免れた。1638年/1639年に新しいオルガンを240ライヒスターラー(ドイツ語版、英語版)で購入したことが、この時期の大きなできごとであった。これは、1640年頃のこの街に対する包囲戦の誘因となった、と口承で伝えられている。この時ヴィンターベルクの防御は、攻撃側のヘッセンとスウェーデンから街を護り抜くことに成功した。
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